Pocket

2018年大河ドラマ「西郷どん」の主人公西郷隆盛には、実は三人の妻がいたということをご存知でしょうか?

大河ドラマ内ではのちに徳川将軍家に嫁ぐことになる篤姫(キャストは北川景子さん)との幼少期のラブロマンスも気になるポイントですよね。

今回は西郷隆盛の妻たちの生涯や、篤姫との関係について紹介させていただきます。

※こちらの記事もよければどうぞ↓


Sponsored Links

西郷隆盛と三人の妻たち(愛加那・糸子・須賀)

西郷隆盛の妻
(西郷隆盛は生涯で3人の妻を娶ります)

西郷隆盛は、懐が深く「男が男に惚れる」というほど人望があった人物です。

当然、女性からもモテる人だったんです(女性にもてるタイプの男性は同じ男性からみても魅力的なものですよね)

西郷隆盛は、生涯で三人の妻をめとります。

①西郷隆盛の最初の妻・須賀はどんな女性?

西郷隆盛の最初の妻の名は須賀(すが)といいます。

大河ドラマ「西郷どん」のキャストでは戸田菜穂さんが演じます(下の写真右の女優さんです)

二人のなれそめについてですが、須賀に関しては西郷の方から惚れてしまったようです。

西郷の妻となる須賀は、薩摩藩士、伊集院家の娘でした。

たまたま西郷家と伊集院家は家が近く、西郷隆盛の方から妻にしたいという申し出があったようです。

なぜ、格上の伊集院家の娘をめとったのか?

須賀の実家である伊集院家は、島津家では名家とされる家です(島津当主の子息が養子に入っているケースもあります)

家格に差のある西郷家と伊集院家ですが、西郷と須賀は結婚し、須賀は西郷の最初の妻となったのです。

今でいえば、家柄の違う格差婚ですね。

西郷隆盛24歳、須賀21歳のときでした。

藩主の島津斉彬からも将来を期待された西郷隆盛

西郷隆盛はもともとそろばんが上手な末端の役人にすぎませんでしたが、名君といわれた島津斉彬に見いだされて側近となります。

西郷家と伊集院家との家格の違いにもかかわらず、西郷隆盛が伊集院家の娘をもらうことができたのには、須賀の父である伊集院兼善も西郷の将来性を買っていたということもあったのでしょう。

義父(伊集院兼善)の期待に応え、西郷隆盛は藩の中で出世し、江戸の薩摩藩屋敷に勤務することになります。

これは当時としては大抜擢といえる扱いですね。

須賀とはわずか結婚二年目で別居することに…

しかし、このとき、西郷隆盛と妻の須賀まだ結婚二年目です。

その前年には西郷家では不幸が続き、西郷隆盛は、父、母、祖父を亡くしていました。

妻となった須賀としてみれば、結婚後に身内に立て続けに不幸が襲ったというわけです。

そのようなことで、須賀には「疫病神」というようなレッテルを貼られてしまった部分もあるようです。

さらに、今度は夫が江戸に行ってしまいます。

西郷家が大家族で西郷隆盛には、五人の弟妹がいました。

その世話は西郷の妻である須賀の肩にのしかかってきます。

生活苦から離婚をすることに…

西郷の妻となった須賀は、夫の江戸勤務により、家中で誰も頼る者がいなくなってしまいます。

西郷が出世したといっても俸給はまだ安く、薩摩に残された妻と弟妹たちの生活は苦しかったのです。

それが二人の結婚生活を終わらせてしまいます。

江戸に出資していた西郷と親族の相談のうえで、離婚が決定します(須賀が西郷の妻であったのは2年の間だけでした)

円満離婚ではあったようですが、西郷はこの離婚を後までずっと悔やんだといいます。


Sponsored Links

②西郷隆盛の二人目の妻・愛加那はどんな女性?

西郷隆盛は、1人目の妻須賀と離婚した後、2人目の妻(愛加那:あいかな)をめとります。

大河ドラマ「西郷どん」のキャストは二階堂ふみさんですね。

西郷隆盛は藩主の島津斉彬に従って江戸で働くようになりますが、斉彬の急死とその後の安政の大獄(幕府の大老井伊直弼による政治家の粛清)により、奄美大島に島流しの刑に処されることになります。

その流罪先の奄美大島で出会ったのが、2人目の妻、愛加那(あいかな)です。

愛加那は農家の出身の女性ですが、実家は農家といってもただの農民ではありませんでした。

薩摩藩の財政を支えるサトウキビから砂糖生産を管理する職に就いている家です。

当時の「奄美大島の農民」というと「貧しそう」というイメージがあるかもしれませんが、実際にはそのようなことはなく、いわば裕福な家庭でした。

ドラマなどフィクションの中では貧しい農家の娘と描かれることが多いのですが史実は違います。

そもそも農民でありながら家名を名乗っています(「龍」、「田畑」)から、武士階級に近い農民だったのでしょう。

薩摩藩は西郷を安政の大獄からの追及から守るため、奄美大島に送り隠しました。

愛加那とのなれそめ

慣れない奄美大島の地に暮らすことになった西郷を世話したのが愛加那でした。

そして、愛加那と西郷は恋に落ち、結婚したのです。

当時西郷は流罪の身ですから、こんな状態の男に娘を嫁がせる親は普通いませんよね。

なので純粋に恋愛結婚だったのかも知れません。

西郷隆盛31歳で再婚、妻の愛加那は21歳でした。

そして、愛加那は西郷の二人目の妻となりました。

そして西郷隆盛との間には2人の子供が生まれることになります。

西郷隆盛はその後許されて奄美大島から本土に戻ることになりますが、それにつれて愛加那とは離婚することになります。


Sponsored Links

③西郷隆盛、最後の妻・糸子はどんな女性?

西郷隆盛の最後の妻となった三人目の妻は糸子(いとこ)という名の女性です。

大河ドラマ「西郷どん」では「糸」という名前で黒木華さんがキャストとして演じています。

糸子は、薩摩藩士の娘で小柄で華奢な女性でした。

一方で、西郷隆盛は身長が180センチ前後あったので、かなり体格差のある夫婦でした。

糸子と西郷はおさななじみのような関係として大河ドラマでは描かれていますね。

その2人が結婚したのは、2人の人生でもかなり後半になります(糸子の側も再婚です)

1865年2月に二人は結婚します。西郷隆盛37歳、糸子21歳の祝言でした。

今なら、かなりの「歳の差婚」ですが、当時はさほど珍しいことではありません。

西郷糸子の性格

三人目の妻、糸子は、その人柄も温厚であったようで、西郷家を訪れる多くの人を世話し、西郷から学ぶために庄内藩から藩主を含む76人もの「留学生」の世話も行っていたといいます。

当時、学問を学ぶ女性は少数派でしたから、聡明で先見性のある女性だったのかもしれませんね

糸子は西郷の最後の妻で、西郷との別れは西郷の死(西郷は西南戦争で戦死します)という形で訪れました。

西郷の激動の人生が終わるとともに、ふたりの結婚生活も終わったのです。

そのとき、残された妻の糸子は34歳でした。

※西郷隆盛の最後や最後の言葉についてはこちら

西郷隆盛と篤姫の関係は?

西郷は三人の妻をめとりました。

そして、フィクションでよく描かれるのが、篤姫とのロマンスですね。

※大河ドラマ「西郷どん」では北川景子さんが篤姫のキャストです↓

大河ドラマ「西郷どん」でもそのような展開になることが予告で知らされています。

しかし、史実では篤姫と西郷隆盛が男女の恋仲となったかどうかはかなり疑問ですね。

※篤姫は後に徳川将軍家に嫁ぎ「天璋院」と呼ばれるようになります。

さらに後に西郷隆盛は新政府軍のリーダーとして江戸城を攻めますが、結局「無血開城」という形で平和裏に江戸を制圧します。

そのとき、天璋院篤姫が西郷の説得に当たったといわれています。

このあたりの様子は篤姫を主人公にした大河ドラマ「天璋院篤姫」の終盤のクライマックスとして描かれていますね↓

なお、「天璋院篤姫」での篤姫役は宮崎あおいさんが演じています↓

史実では篤姫と西郷のラブロマンスは考えにくいけど…

ただ、篤姫は島津斉彬の養女となって徳川家に嫁ぐ前は、ずっと薩摩藩(現在の鹿児島県)で生活していますから、その時に西郷と出会うということはあったかもしれません。

また、西郷は島津斉彬に従って江戸で諜報活動などを行っていた時期がありますから、篤姫の婚礼に随伴するということもあったかもしれません。

大河ドラマ「西郷どん」ではこの篤姫と西郷隆盛のラブロマンスも一つの見どころになるでしょう。


Sponsored Links

【さらにくわしく!】西郷隆盛と妻たちの出会いと別れ

西郷隆盛は三人の妻を持ちますが、幸せな家庭を作れたかというと、中々答えは難しいです。

ただ、幕末の英傑となる存在の妻になる。

または、不平士族に担ぎ上げられ、彼らに命を投げ出し、明治政府に反旗を翻した上で、自刃する、非業の英雄の妻になってしまうなど夢にも思わなかったでしょう。

三人の妻たちとの出会いと別れ、そして篤姫との関係はどうだったのか、見ていきましょう。

須賀はお嬢様で美人だった

須賀は、薩摩藩の城下士・伊集院家の出身で、西郷隆盛から見れば、格上のいい家の「お嬢さま」です。

須賀はたまたま西郷の家の近くに住んでいました。

伊集院家と西郷家は近所だったのです。

そしては、須賀はかなりの美人でした。

西郷隆盛は家格の上の美人の女性を妻として娶ったわけです。

おそらく、明治に入り高知県令などの要職に就くことになる須賀の父、伊集院兼善が西郷の将来性を買っていたのでしょう。

予想を超えて出世していく西郷隆盛…

しかし、西郷はその予想すら超えて出世していきます。

藩主の抜擢で西郷は、江戸務めというエリートコースに乗ります。

しかし、妻となった須賀にしてみれば、夫の出世は複雑なものがあったでしょう。

なにせ、西郷が江戸に行くことになり、妻の須賀は西郷家の中の面倒を一手に引き受けなければならない状態になったのですから。

結婚直後に、西郷の両親、祖父は亡くなり、夫に代わって家守るのは妻の須賀の役割になってしまったのです。
西郷の妻、須賀は結婚2年目で、まだ23歳の若さでした。

そして、出世したとはいっても薩摩藩の財政は厳しく、当然、西郷隆盛の俸給は多くはないのです。

須賀は、西郷家の長兄の妻として夫の弟妹の世話をします。

しかし、生活は非常に苦しくなっていきます。

離婚に至ったきっかけ

西郷家の窮乏と、妻となった娘の苦しさをみて、須賀の実家である伊集院家の方が慌てます。

父親の伊集院兼善は、西郷の妻である娘の須賀を実家に連れ戻しまったのです。

その後で、伊集院家の方から江戸の西郷隆盛に、正式に離縁の申し出がありました。

須賀の父親としては、娘の境遇が見るに見かねたということでしょう。

西郷も離縁を受け入れ、最初の妻である須賀との結婚生活はたった2年で終わります。

西郷は江戸に行ってしまっているので実質ふたりが夫婦として暮らしたのはその半分くらいでしょう。

美人の妻とこんな形で別れてしまったことを、西郷は長年ひどく後悔したと言われています。


Sponsored Links

愛加那との出会い、そして別れ

ふたり目の妻、愛加那(あいかな)との出会いに至る道は、ある意味劇的です。

西郷隆盛の人生において、どん底の時代にふたり目の妻となる愛加那と出会います。

その場所は奄美大島です。

なぜ、そんな場所でふたりは出会ったのか?について詳しく見ていきましょう。

出会いのきっかけは西郷の流罪

西郷隆盛は薩摩藩の藩主、島津斉彬に抜擢されていました。

その藩主が急死するのです。

そして、歴史に残る大弾圧事件である江戸幕府の最高権力者、大老・井伊直弼による「安政の大獄」が起きます。

弾圧の中、西郷隆盛は京都清水寺成就院の住職である月照と海に身投げします。

しかし、西郷隆盛だけが生き残り、流刑と形となり奄美大島へ行くのです。

実際は「流刑」というより薩摩藩が、西郷を幕府からの追及より守るため、奄美大島に隠したと言われています。

妻の愛加那は、西郷と結婚して一年後に長男の菊次郎を生みます。

西郷は奄美大島で終わる気持ちはなかった

しかし、愛加那が二人目をみごもったとき、長男の菊次郎がまだ満二歳になったばかりのときでした。

薩摩藩は西郷隆盛をこの島で終わらせるつもりはなかったのです。

西郷は藩命により、薩摩藩に戻ることになります。

では、二人目の妻となった愛加那も薩摩に行ったのでしょうか?

妻の愛加那は夫の西郷と、とともに薩摩へ行けなったのです。

当時、薩摩藩では奄美大島などの島の女を外へ連れだすことは「妻島制度」のためでない決まりだったのです。

西郷の二人目の妻との生活も二年で終わりを迎えることになりました。

それはふたりにとって悲しい別れでした。


Sponsored Links

西郷の死後、妻の糸子は……

三人目の妻となった糸子とは長い結婚生活を送ります。糸子も西郷を助ける良妻でした。

しかし、西南戦争による最後の死で、ふたりの生活は終わりを告げます。

残された妻の糸子は、明治、大正と時代の中を生きていきます。

ただ、ふたりの子どもに先立たれる不孝を経験します。病死でした。

当時の医療水準を考えれば、そのような経験した女性は珍しくはなかったでしょう。

糸子は79歳という当時としては、長寿を全うし三男の牛二郎夫妻に最期を看取られました。

※坂本龍馬の妻についてはこちら

※高杉晋作の妻についてはこちら

まとめ

西郷隆盛の妻は三人が三人とも魅力的です。

ただ、時代の流れや、西郷自身が周囲の予想以上に大事物であり、歴史に名を残す人物だったのです。そのような男の妻となるのは大変だったでしょう。

フィクションの中では、西郷隆盛の恋は色々描かれます。篤姫との関係などは完全な、フィクションで史実的には恋仲になるとは考えづらいです。

しかし、そんな想像をさせてしまう程に西郷隆盛という人物は歴史の中で際立って魅力のある人物であるということでしょう。


Sponsored Links

Pocket

関連記事と広告