Pocket

2018年1月より放映開始の大河ドラマ「西郷どん」でも物語の中心人物となっている薩摩藩士・西郷隆盛。

今回は、そんな西郷隆盛の生涯と最後の地について迫ります。

薩摩藩の下級武士の家の長男として生まれた西郷隆盛は、同じ年代の若者たちのリーダーともいえる存在でした。

さらに、江戸幕府を倒すために坂本龍馬の助力を得て薩長同盟を結んだり、幕府軍の勝海舟と話し合うことで江戸城を無血開城させるなど、まさにこの時代のキーパーソンともいえる活躍を示したのです。

そんな西郷隆盛の最後のことばとは?

※こちらの記事も良ければどうぞ↓


Sponsored Links

西郷隆盛の最後の言葉「晋どん、もうここいらでよか…」

西郷隆盛の最後

西南戦争に敗れ、鹿児島県「城山」にてその生涯を終えた西郷隆盛。

死を覚悟した彼は、そばにいた別府晋介に向かってこう告げます。

「晋どん、もうここいらでよか…」

心の奥底では明治政府軍と戦うことを望んでいなかった西郷ですから、自分が長く生き残るほど戦いが長引いてしまうことをつらく思ったのかもしれません。

彼の最後の言葉に別府は「はい」とうなずき、「ごめんやったもんせー」と叫び涙ながらに西郷の首を切り落とします。

自分がもっとも尊敬する人物の介錯(切腹の手伝い)をする別府晋介の気持ちを思うと、胸にせまるものがありますね。

こうして西郷隆盛の49年にわたる壮絶な人生は幕を下ろしました。

政治家としての西郷隆盛

※西郷隆盛と大久保利通が主人公の小説
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

西郷隆盛には、武士であると同時に名だたる政治家としての一面もありました。

明治政府においては参議と陸軍大将、そして天皇を守る部隊のリーダー「近衛都督」の役職にも就いていたことが知られています。

これらの役職は事実上の「政府のトップ」でした。

西郷は東京でこれらの職を歴任した後に故郷の鹿児島県に帰り、新政府に不満をもつ若者(士族)にかつぎあげられて西南戦争を戦うことになります。

※征韓論とは?西郷が職を辞すきっかけとなった論争

現代の世界でいえば、総理大臣を何年も務めた人(例えば安倍晋三さん)が故郷に帰って日本政府に対して反乱を起こすというような一大事だったわけです。


Sponsored Links

西郷隆盛の最後の地「城山」とは?

不平士族の若者たちにかつぎあげられてしまい、やむを得ず武器を取り、明治政府軍と戦うために軍を率いた西郷隆盛。

これが日本国内では「最後の内乱(日本人同士の戦い)」となる西南戦争です。

西南戦争では、九州各地において半年にわたる激戦を繰り広げるものの、どんどん西郷軍の敗戦が濃厚になっていきます。

最終的には決戦の地である鹿児島県城山地方において、「城山の戦い」が繰り広げられます。

昔ながらの示現流剣術(日本刀)での切込み作戦を基本とする西郷軍と、最新鋭の兵器(西洋から導入された鉄砲や大砲)を駆使する明治政府軍の戦いは、明治政府軍の圧倒的な勝利によって終結するのです。

城山の戦いでの敗北後も生き残った西郷は、上でも述べた別府晋介の介錯によって最期を迎えることになります。

城山の近辺は西郷をしのぶ歴史史跡がたくさんある

なお、西郷最後の地である城山は、現在は錦江湾から美しい桜島をのぞむことができる観光地となっています。

城山には上野の西郷像と対をなす西郷像(この像は西郷夫人の糸が「もっとも自分の主人の生前の姿に近い」という感想を述べたことでも有名ですね)が立っています。

そのほかにも西南戦争末期に5日間にわたって立てこもったといわれる「西郷洞窟」や、西郷が好んだ言葉「敬天愛人(天を敬い、人を愛するの意味)」の文字を刻んだJR日豊本線の城山トンネル鹿児島駅入口、さらに西郷が薩摩藩士を養育した私学校跡などがあります。

城山近辺の歴史史跡については、こちらの城山観光ホテルの観光地解説が参考になります。

※城山観光ホテルにはこのぐらいの価格で宿泊できますよ^^
    ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

城山観光ホテルの宿泊料金を見る

私学校の内乱「西南戦争」のきっかけとは?

明治政府を辞めた後、故郷鹿児島にて陸軍養成施設「私学校」を設立した西郷隆盛。

明治政府に武士の特権を次々取り上げられてしまい、不満が募っていた士族の反乱を緩和させるためにこういった組織を作ったともいわれています。

しかし西郷隆盛の努力もむなしく、私学校の規模が大きくなるにつれ政府のスパイが潜り込むなどのトラブルが勃発。

そんな政府の対策に激怒した私学校の生徒たちの一部が、武器を奪うために政府の火薬庫を襲撃してしまいます。

この事件が、のちに起こる西南戦争のきっかけとなりました。

西南戦争中の西郷隆盛

私学校の生徒たちの火薬庫襲撃の知らせを聞いた西郷隆盛は「しまった」と叫んだそうです。

自分を慕いついてきてくれた若者たちの起こした事件がきっかけで内乱が始まってしまうなど、自身の読みの甘さを悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。

安易に力による問題解決を望まず、かつては江戸の無血開城までも成し遂げた西郷隆盛。
そんな彼の平和を望む想いは私学校の生徒に伝わらず、また伝え切れなかったことを彼は悔やんでいたともいわれています。

もはやこの時の西郷は、時代の流れに身を任せることしかできなくなっていました。

Sponsored Links

まとめ

清廉切実で万人に愛された西郷隆盛。

その素晴らしい功績は西南戦争終結後にあらためて天皇から評価され、歴史上の偉人として現代においても語り継がれています。

また最後の地である鹿児島「城山」も西郷隆盛ゆかりの地として有名ですので、鹿児島へ行く機会のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。

Sponsored Links

Pocket