パクスロマーナとは、「ローマの平和」や「ローマによる平和」という意味の言葉です。

「パクス~」というのは「~による平和」ということを意味しますから、そのときどきでもっとも力を持っている国が「~」に入ることが多いですね。

↓例えば、こちらのような感じです。

パクス~=そのときどきでもっとも強い国が「~」に入る

  • パクスロマーナ
  • パクスアメリカーナ
  • パクスモンゴリカ
  • パクスブリタニカ

意味は比較的簡単ですが、この言葉が使われるようになった意味や歴史についてご存知でしょうか。

この記事では「ちゃんと理解したいけど、難しくてよく分からない」という方向けに、

パクスロマーナの意味や派生語、パクスロマーナに深く関係する「五賢帝」について紹介します。

ぜひ、参考にしてみてくださいね!

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パクスロマーナの意味とは?ローマ帝国がもたらした平和

パクスロマーナ

パクスロマーナとは、「ローマの平和」を意味します。

ローマ帝国が支配する以前の地中海世界はペルシア戦争やペロポネソス戦争、ポエニ戦争など、常に戦争が絶えませんでした。

しかし、ローマ帝国が覇権をにぎり、地中海世界を支配して以降は大きな戦争が起こらず、平和だったことから「ローマによる平和が訪れた=パクスロマーナ」といわれるようになりました。

18世紀のイギリスの歴史家であるギボンが「ローマ帝国衰亡史」という著書の中で「五賢帝の時代は、人類史上最も幸福な時代である」と評し、「パクスロマーナ」という造語を作ったことで一般に知られるようになります。

パクスはローマ神話に登場する平和と秩序の女神で、ロマーナはラテン語で「ローマの」という意味です。

ギボンは、パクスロマーナを五賢帝の時代である96年~180年と表しましたが、後にアウグストゥスが帝政ローマを確立した紀元前27~180年のことを指すようになりました。

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パクスロマーナの一角をなした五賢帝とその功績とは?

パクスロマーナ

五賢帝とは、ローマ帝国が政治的に非常に安定し、対外戦争も勝利が続いた全盛期とされる時代を生きた皇帝です。

彼らの時代を歴史家のギボンは、「パクスロマーナ(ローマの平和)」と評しました。

五賢帝は、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスのことを指します。

パクスロマーナを支えた「五賢帝」

  • ①ネルウァ
  • ②トラヤヌス
  • ③ハドリアヌス
  • ④アントニヌス・ピウス
  • ⑤マルクス・アウレリウス・アントニヌス

彼らは、跡継ぎを自分の子どもではなく、養子にしたという点が特徴的です。

自分の子どもではなく、側近やなどから優秀な者を選び、養子にするという方法をとったのです。

ただし、五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスは、自分の息子・コンモドゥスに継承させています。

五賢帝の養子相続は、「ローマ帝国のため、血縁ではなく、帝国を統治するにふさわしい人物を選んだ」と思われがちですが、実はマルクス・アウレリウス・アントニヌス以外は、息子に恵まれなかったという背景がありました。

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①ネルウァ:ローマ帝国の黄金期につながる養子相続のパイオニア

パクスロマーナ

ネルウァは、五賢帝で初めて養子相続を行った皇帝です。

先帝・ドミティアヌスの暗殺後、元老院から指名を受けて66才で即位しました。

高齢で即位したことから、治世は2年未満と短かいです。

しかし、先帝の「力で支配しよう」という方針を改めて元老院と協調し、ローマ帝国を安定の時代に導いたことは確かです。

②トラヤヌス:ローマ帝国最大版図を築いた最良の皇帝

パクスロマーナ

トラヤヌスは、ローマ帝国の領土を最大にした皇帝です。

元老院の意見を尊重し、道路や下水道などの公共施設の整備をしました。

対外面では、ローマ帝国に反抗的だったダキア(現在のルーマニア)とパルティア(現在のイラクやトルコ付近)を征服し、帝国の領土を最大にしました。

当時から評価が高く、113年には「オプティムス・プリンケプス(最良の皇帝)」という称号が与えらています。

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③ハドリアヌス:長城を築いたことでも有名な現実的な平和主義者

パクスロマーナ

ハドリアヌスは、ローマ帝国の領土拡大政策をやめ、国境安定化に取り組みました。

ハドリアヌスは、「領土が拡大しすぎると統治が難しくなる」と考え、領土の一部を放棄します。

また、帝国を外的から守るため、ブリタニアに長城を築きました。

この長城によって国境が定められ、領土の防衛が強化されています。

④アントニヌス・ピウス:人権問題に切り込み、国内の平和保持に努める

パクスロマーナ

アントニヌス・ピウスは、奴隷解放の条件を緩和するなど、人権問題に切り込んだ皇帝です。

彼の時代は大きな事件や戦争がなく、平和でした。

劇場や神殿の建設も行い、文化・芸術の発展に寄与します。

ちなみに、慈悲深いという意味の「ピウス」という名前は後から授かった名前です。

元老院から嫌われていた先帝・ハドリアヌスを祀ろうとして大反対されましたが、元老院を献身的に説得し続けたことから「慈悲深いアントニヌス(アントニヌス・ピウス)」と呼ばれるようになりました。

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⑤マルクス・アウレリウス・アントニヌス:中国に使者を派遣した哲人皇帝

パクスロマーナ

マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、ストア派の哲学者で、「自省録」を書いたことでも有名な皇帝です。

彼の時代は、異民族の侵攻が激しくなり、自ら軍の指揮を取って度々出征していました。

出征先で病死し、彼の実子であるコンモドゥスが次の皇帝に即位したことによって、五賢帝の時代は終わります。

当時は東西交渉が盛んで、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは中国に使者を派遣したことでも知られています。

後漢の記録には、彼の名前が「大秦王安敦」と記録されています。

五賢帝の後の時代

五賢帝の最期の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの跡を継いだコンモドゥス(マルクス帝の息子)は非常に暗愚で、最終的には側近に暗殺されてしまいました。

※↓ちなみに、この時代をテーマに描いた映画作品が「グラディエーター」です。

コンモドゥスの死後には、5人の皇帝が勝手に次々と名乗りを上げる大混乱の時代が訪れ、最終的に勝利したセプティミウス・セウェルスが皇帝に即位するまでの約5年間、ローマは内戦状態になります。

その後はセウェルスとその子供たち(カラカラ帝やアレクサンデル・セウェルス帝など)の時代~四分割統治の時代~コンスタンティヌスをはじめとするキリスト教を信奉する皇帝の時代が続きますが、ローマ帝国は五賢帝時代に比べるとどんどん力を失っていきます。

ローマ帝国は、最終的に西ローマ帝国と東ローマ帝国に分離し、西ローマ帝国は早くも5世紀に、東ローマ帝国は15世紀まで続いた後、滅亡しました。

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パクスロマーナから派生したさまざまな地域の平和(パクス~)とは?

パクスロマーナ

「パクスロマーナ」という言葉が広く知られたことにより、「強大な一国がもたらした平和」という意味で「パクス~」という造語ができるようになりました。

今回は、「パクス~」と名付けられるほど繁栄した3つの国を紹介します。

パクスブリタニカ:「太陽の沈まない国」と呼ばれたイギリスの黄金期

パクスブリタニカとは、19世紀半ば~20世紀初頭の大英帝国時代のイギリスの繁栄を表しています。

イギリスは、産業革命による経済力や工業力、軍事力を背景にさまざまな地域に植民地を形成し、諸国を圧倒させました。

この時代は、他国との戦争や衝突も少なく、比較的平和です。

植民地を多く持っていたので、「太陽の沈まない国」と呼ばれました。

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パクスモンゴリカ:広大な領土を誇ったモンゴル帝国

パクスモンゴリカとは、13世紀~14世紀にモンゴル帝国がユーラシア大陸の覇権を握ったことを表しています。

モンゴル帝国は、中国の元、イル=ハン国、チャガタイ=ハン国など、国を分けなければいけないほど広大な領土を持つことになります。

また、モンゴル帝国が大陸を統一したことによって、この時代に物流が盛んになり、商業が発展しました。

パクスアメリカーナ:20世紀、超大国となったアメリカの覇権

パクスアメリカーナとは、20世紀以降のアメリカが世界の覇権を握ったことを表しています。

始まった時期は3つの説がありますが、ここでは一般的である第2次世界大戦後の時期を紹介します。

第2次世界大戦後、アメリカとソ連の2国が覇権を握りました。

ですが、ソ連1国が覇権を握ろうとしなかったのは、アメリカがソ連に対抗できるほどの軍事力を持っていたこと、何より核を所持していたことが大きいのです。

アメリカが「抑止力」であったことで、世界に平和がもたらされました。

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まとめ

パクスロマーナ

今回は、パクスロマーナという言葉の意味や歴史について解説しました。

パクスロマーナや他の派生語について、共通することは全て超大国であるということがポイントです。

パクスロマーナについて深く知りたい方は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

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