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言葉の意味

ルビコン川を渡るとはどんな意味?使い方や例文・類義語を簡単に解説

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「このプロジェクトはルビコン川を渡る気持ちで進めなくてはならない」「ルビコン川を渡る決意で会社を辞めた」

などなど、この言葉は古代ローマの物語に由来する言葉です。

この記事では「ルビコン川を渡る」という言葉の意味について、例文を含めてくわしく説明します。

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「ルビコン川を渡る」とはどんな意味?簡単にわかりやすく解説!

ルビコン川を渡る

「ルビコン川を渡る」という言葉には、「これをやったらもう後戻りができない!」という覚悟や、重大な行動を行うことを表す意味があります。

例えば、「このプロジェクトの実行は会社にとってルビコン川を渡る覚悟が必要だ」といったような使い方ですね。

ただ、ルビコン川ってどこにある川?明らかに日本の川じゃないのに、なんで日本のことわざになってるの?という疑問もあるかもしれません。

その語源となった物語を知れば、その意味もよく理解できると思いますので、参考にしてみてくださいね。

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「ルビコン川を渡る」の由来は古代ローマの物語

ルビコン川を渡る

↑シーザー(カエサル)

ルビコンを渡るという言葉は、古代ローマの物語が由来となっています。

そのあらすじを、簡単にご紹介しましょう。

「ルビコン川を渡る」の言葉の由来・語源

紀元前のローマ(イタリア)が舞台で、主人公のカエサル(シーザー)は辺境の蛮族が住むガリアという地に軍隊を率いて鎮圧に向かいます。

名将のカエサルは数年間をかけてついに蛮族を屈服させます。

蛮族の脅威が去ったので、カエサルは母国のローマへと凱旋することにしますが、母国のローマに入る前には、国境線であるルビコン川の地点で「軍隊を解散して、自分1人で入ってこなくてはならない」というルールがあったのです。

しかし、ローマではカエサルの政敵ポンペイウスと手を組んだ元老院が、カエサルを陥れようと陰謀をめぐらしています。

ローマに渡るには辺境との間にあるルビコン川を超えなければなりませんが、カエサルは「賽(ばくちで使うサイコロのこと)は投げられた」と言い放ち、ルールを破って武装したままでルビコン川を渡ります。

軍を引き連れてルビコンを渡ることは母国ローマへの謀反に当たるため、カエサルは死をも覚悟した重大な決意で川を渡ったということになるわけですね。

これが「ルビコン川を渡る」の語源の由来になります。

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ルビコン川はどこにある?

ルビコン川を渡る

↑ムッソリーニ(イタリアの政治家)

ルビコン川は古代ローマ時代(紀元前なので今から2000年以上前の話)にはありましたが、現在は干上がってしまって場所がどこだったのかわかりません。

ルビコン川が現在のどの場所に当たるのかは、諸説があります。

一応、イタリアの国としての見解としては、ムッソリーニ(第二次大戦前後)の時代に、アドリア海に注ぐ旧名フィウミチーノ川がそれであるとして、ルビコン川(イタリア語でルビコーネ川)と改称しています。

しかし、ルビコン川が実際に存在していたのは紀元前の話です。

当時とは地形が変化していますから、本当のルビコン川がどこにあるのかは現在でも論争があり、結論が出ていないというのが本当のところです。

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「ルビコン川を渡る」の使い方と例文・類義語

「ルビコン川を渡る」という言葉が実際にどのように使われるのか、その例文を見ていきましょう。

同じような意味の類義語もご紹介します。

「ルビコン川を渡る」の例文

  • 彼の決意は固く、ルビコン川を渡る覚悟で会社を辞めた
  • 初めての海外旅行は、彼女にとってルビコン川を渡るような気持ちだった
  • 彼はルビコン川を渡るつもりで、決勝の試合に臨んだ

「ルビコン川を渡る」の類義語

ルビコン川を渡ると同じような意味で使う類義語には、次のようなものがあります。

「ルビコン川を渡る」の類義語

  • 一か八かの勝負に出る
  • 不退転の決意で臨む
  • 勝負に打って出る
  • 背水の陣を敷く
  • 清水の舞台から飛び降りる
  • 博打を打つ

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「賽は投げられた」との意味の違い

ルビコン川を渡る

上の言葉の由来の説明でも少し触れましたが、「ルビコン川を渡る」とよく似た意味で使われる言葉が「賽(さい)は投げられた」です。

こちらも聞いたことがあるフレーズですよね。

先ほどご紹介した古代ギリシャの物語でも出てきたように、「賽は投げられた」もルビコン川を渡るときにシーザー(カエサル)が言った言葉です。

「賽」とは、ばくちに使うサイコロのことですね。

サイコロはすでに振られているという意味で、「ものごとはもう始まっているのだから、考えているヒマはなく、行動するしかない」ということを表しています。

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どちらもシーザーの言葉

「ルビコン川を渡る」も「賽は投げられた」も、同じ場面でのシーザー(カエサル)の言葉や行動が由来になっています。

意味は同じようなものなのでどちらかひとつ使ってもいいし、一緒に使えばより意味を強調する形になるでしょう。

「我々はすでにルビコン川を渡った。賽は投げられたのだから、今さら迷っていてはいけない」というような使い方ですね。

まとめ

今回は「ルビコン川を渡る」という言葉の意味について、具体的に説明しました。

私たちの日常生活では古代ローマの物語が由来になっている言葉がいろいろありますね(賽は投げられた、ローマは一日にしてならず、など)

紹介した例文を参考に、ぜひ言葉の由来や語源についてくわしく調べてみてくださいね。

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