西郷隆盛といえば、犬を連れている上野公園の銅像が有名ですね。
この西郷さんが引き連れている犬には、実在のモデル犬が存在したことはご存知でしょうか。
今回は、西郷隆盛がどんな犬種を飼育し、どんな名前を付けて可愛がっていたのかについて史実をもとに解説させていただきます。
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西郷隆盛の犬の名前と種類
現在、西郷隆盛の愛犬として有名なものとして2匹の犬がいます。
1匹目は鹿児島古来の犬種である薩摩犬「ツン」、もう1匹は祇園に連れていったというエピソードで知られる蘭犬(オランダ産の犬)の「寅(トラ)」です。
上野公園の西郷さんのそばにひかえている犬はこのうちツンだといわれることが多いのですが、実は別の犬である「サワ」です(このサワについてくわしくは後述)
その他にも、サワ・シロ・カエ・ハヤ・ツマ・ブチ・テツ・ゴン・クロなどの名前が、西郷隆盛が飼った犬の名前として伝わっています。
ネーミングセンスに関して言えば、現代とそれほど変わっていませんね。
これらの犬の種類はいずれも日本古来の和犬で、狩猟犬としての高い適正を備えていました。
後述するうさぎ狩りに連れていくには、まさにもってこいの犬種だったわけです。
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西郷隆盛の愛犬ツンは今や絶滅してしまった薩摩犬
犬が大好きだった西郷隆盛ですが、特にお気に入りだった「ツン」は薩摩犬という、黒い瞳、まっすぐ伸びたしっぽ、ピンと立った三角耳が特徴の日本古来の犬種だったことで有名です。
獰猛な気性を持つものの、飼い主には従順な薩摩犬は、狩猟犬としてイノシシ狩りに重宝されていました。
うさぎ狩りの際にツンは、さぞや役に立ったことでしょう。
明治維新後の日本では、なんでも西洋のものが尊ばれる風潮になります。
犬も例外ではなく、従来の日本種は蔑まれ、その代わりもてはやされた西洋からの犬種が、国内に数多く輸入されるようになりました。
西洋犬との交配が急速に進んでいった結果、純粋な薩摩犬の血統は、残念ながら現代では絶滅してしまっています。
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上野公園の西郷隆盛銅像に犬が加えられた理由は?
上野恩賜公園に設置されている着流しを着用した西郷隆盛の銅像は、現代人が思い浮かべる西郷隆盛のイメージとしてあまりにも有名ですね。
かたわらに犬を引き連れている理由は、この像が郷里でのうさぎ狩りをイメージして製作されたためです。
西郷隆盛が最期を迎えることとなった西南戦争から12年後の、明治22年(1889年)2月11日。
アジア初の近代憲法、大日本帝国憲法が公布されたことによる大赦で、西郷隆盛は朝敵の汚名を晴らされ、正三位が贈られることになります。
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彼の名誉回復を祝い、西郷隆盛の像を建設する話が一気に、明治政府の中枢から持ち上がりました。
死後12年を経過してなお、西郷隆盛は絶大な人気を誇っていたのです。
銅像は当初、陸軍大将らしい勇ましい軍服姿で製作されることになっていましたが、いざ原型を作った段階で「何か違う」という声が上がったため、愛犬を引き連れ郷里でうさぎ狩りにいそしんでいる着流し姿で製作されることになりました。
「飾り気のない姿が西郷さんらしい」という話だったそうですが、西南戦争を連想させる軍服姿を避けるためという理由もあったそうです。
この経緯は、それだけ犬連れの西郷隆盛の姿が、人々の心に焼き付いていた証拠として見ることができます。
犬連れの姿が後世で有名になっているのは、決して偶然ではないのです。
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上野の西郷隆盛像の犬はツンとは別の犬がモデル
上野の西郷隆盛像のかたわらの犬は、有名なツンではなく別の薩摩犬がモデルです。
その薩摩犬とは、明治18年(1885年)に海軍中将となった薩摩出身の軍人、仁礼景範の飼い犬「サワ」。
銅像が製作されることになったのは、西南戦争から12年が経過した明治22年(1889年)のこと。
薩摩犬のような中型犬の寿命は10年~15年程度ですので、残念ながらツンは他界していました。
西郷隆盛は大の写真嫌いだったため、ツンをはじめとする愛犬の写真も残されていません。
そこで仁礼景範の飼い犬で、ツンと同じ薩摩犬の「サワ」をモデルにして、傍らの像を製作することになったのです。
別の犬ではあるのですが犬種は同じ薩摩犬なので、「サワ」を通して「ツン」の姿を思い浮かべてみるのもよいかもしれませんね。
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ツンの銅像が鹿児島県薩摩川内市に!
鹿児島県薩摩川内市、藤川天神の参道脇には「西郷どんのツン」と銘打たれた、ツン単体の像が建てられています。
平成2年(1990年)のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」(西田敏行さんが演じる西郷隆盛が主人公です)の放映を機に建てられました。
上野の西郷隆盛の傍らの犬と同じく、この像もツンと立った耳と尻尾という薩摩犬の特徴を備えているのです。
西郷隆盛が犬を飼っていた理由はダイエットのため?
西郷隆盛がどうして犬を飼っていたのか、考えられる理由として特に有力とされるのが、ダイエットのためであるというものです。
西郷隆盛が少年時代、刀傷を受けて右腕が十分に伸びなくなってしまい、剣術ではなく学問で身を立てようとしたのは有名な話ですね。
武術を満足に行えない西郷隆盛が存分に出来る運動は、得意だった相撲か、大好きだった猟犬を用いたうさぎ狩りです。
運動する機会を多くするために、犬を飼うのが最適の手段だったことは想像に難くありません。
その他に犬を飼っていた理由として考えられるのが、室内の護衛のためというもの。
少年時代の負傷により刀を満足に振るうことができなかった西郷隆盛。
信頼できる愛犬が側についてくれるのは、何よりも心強かったことと思います。
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明治以降の西郷隆盛はすっかり肥満してしまっていた
明治維新を成し遂げてからの西郷隆盛は、若い頃とはうって変わって肥満に悩まされていました。
元々、カロリーの高い肉料理や甘いお菓子が大好きな彼のこと。
政府の重鎮として、仕事がデスクワーク中心になった途端、肥満へとまっしぐらです。
しまいには、身長180cm・体重110kgというメタボ体系へと変貌してしまいました。
西郷隆盛は犬を引き連れてうさぎ狩りを楽しんでいた
お雇い外国人のドイツ人医師、ホフマンから「いくらなんでも太り過ぎである」と警告された西郷隆盛は、運動療法と食事療法に取り組みます。
存分に運動をするため、西郷隆盛は犬を引き連れ、山野に分け入ってのうさぎ狩りにいそしむことになったのです。
征韓論に破れ郷里である鹿児島に下野した明治6年(1873年)、西郷が13匹もの犬を引き連れ、鰻温泉(鹿児島県指宿市)に1ヶ月ほど逗留したという興味深い逸話が残されています。
この地で、天気が良い日には4~5匹を連れ、うさぎ狩りをエンジョイしていたそうです。
体格が良い西郷隆盛が、数多くの犬を引き連れ悠々と闊歩する姿は、当時の人々にきわめて印象深く映ったでしょう。
それにしても13匹というのが、なんとも驚いてしまいますね。
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愛犬家の西郷隆盛は犬にうな丼を与えていた!
西郷隆盛はしばしば、犬を引き連れ鰻屋さんに姿を現すと、注文した蒲焼きを犬にあげていたそうです。
お代としてお札を置いていくのですが、鰻の代金としてはずっと多く、そのまま立ち去る西郷隆盛の後を、慌てて店主がお釣りを渡そうと追いかけた話が複数伝わっています。
なんとも西郷隆盛らしい豪快なエピソードですね。
ごちそうであったうな丼を、惜しげもなく飼っている犬に与える姿というのは、当時の人々にとって常識外れだったに違いありません。
西郷隆盛のエピソード集『南洲翁逸話』にも、京都の祇園に連れていった蘭犬「寅」に鰻飯を食べさせてやったという話が載っています。
このようにして愛犬に贅沢な食事を与え続けた結果、本人同様にでっぷり太ってしまった犬もいたそうです。
現代でも、犬に贅沢な食事を与え肥満させてしまう事例がありますね。
西郷隆盛は、まさに時代を先駆けた愛犬家と言ってよいでしょう。
まとめ
西郷隆盛が大の愛犬家であったという事実は、様々な記録からうかがい知ることができます。
まさに人だけでなく、犬にも慕われた大人物と言えますね!
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