坂本龍馬といえば、日本人の尊敬する人でアンケートを取れば上位に名前が出る常連です。
維新の英雄というイメージは数々の創作物で創られてきました。
しかし、本当の坂本龍馬はどんな人物だったのでしょうか?
今回は、坂本龍馬とその妻、また彼をとりまく女性たちにスポットを当ててみましょう。
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坂本龍馬の女たち。妻と婚約者、愛人までいた?
坂本龍馬には妻としておりょうという存在がいました。
そして、龍馬と契る約束をしたという千葉佐那。
さらには、愛人の存在まで確認されています。
まさに英雄色を好むということだったようですね。
坂本龍馬の妻・おりょう
龍馬の妻としたのは、京都の医師であった楢崎将作の娘である「楢崎龍」という女性です。
一般には「おりょう」と呼ばれています。
父親は公家との繋がりがあり、安政の大獄では投獄の経験もあります。
おりょうの父は勤王の志士たちに支援をしていました。
坂本龍馬も勤王の志士として、楢崎家に出入りするようになります。
しかし、1862年父の楢崎将作が亡くなると、楢崎家は非常な困窮の中にいました。
おりょうの妹たちは島原や大坂に売られます(芸者や女郎として)
おりょうは妹たちを助けるため刃物を懐に潜ませ、妹たちを取り戻しに行ったというエピソードが残っています。
恐ろしく強気な女性だったようです。
坂本龍馬は楢崎家に出入りするうちに、おりょうを見初めていたという話もあります。
おりょうを愛人とし、京都伏見の寺田屋に奉公に出します。
寺田屋の登勢に可愛がられ自分の養女として扱い、龍馬付の女中格としました。
この二人が祝言を上げたのは1966年であるとも、1964年であるとも言われています。
坂本龍馬を待ち続けた婚約者?千葉佐那
おりょうではなく、最期まで自分こそが坂本龍馬の妻であると言い続けた女性がいます。
幕末の凄腕の女剣士として有名な人物で、千葉佐那(さな)といいます。
龍馬も通った北辰一刀流「千葉道場」の娘であり、免許皆伝腕前であったいいます。
伊達家の藩主である8歳も年上の男に稽古で勝ったこともあるという女傑です。
坂本龍馬も「ベタ褒め言葉」を残しています。
しかし、坂本龍馬自身は千葉佐那に対し「すごい女」とは思っていても、惚れていたのかどうかまで分かりません。
龍馬が形見を渡し迎えに来ると言ったという話は、千葉佐那本人しか言っていないのです。
ただ、彼女は生涯独身を通し自分こそが本当の坂本龍馬の妻であると言い続けていました。
龍馬が暗殺され、明治という時代がやってきてもそれは変わりませんでした。
そして、千葉佐那の墓には「坂本龍馬室」と刻まれているのです(「室」というのは妻という意味です)
坂本龍馬にはほかにも愛人がいた?長崎や京都
坂本龍馬にはこの他にも、長崎や京都などに愛人がいたという説があります。
この時代の男性が多くの女性と関係を結び、愛人関係になるのは普通のことであったのでしょう。
今の倫理観で責めるわけにはいきません。
新しい日本を創るため、全国各地を飛び回っていた坂本龍馬です。
あちらこちらに愛人がいてもおかしくはありません。
今後、新たな史料が見つかり新たな愛人が見つかるかもしれませんね。
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坂本龍馬の本命は?
調べてみると結構派手な女性関係が浮き上がる坂本龍馬です。
現代であれば、不倫疑惑で「志士引退」になるのでしょうか?
それは冗談としても、坂本龍馬が本当に愛していた女性は誰だったのでしょうか?
坂本龍馬が本当の妻と思っていた女性は、おりょうなのか、それとも千葉佐那なのでしょうか。
寺田屋事件とおりょう
1866年1月に事件が起きます。
有名な島田屋事件です。
島田屋で幕府の官吏に襲撃された龍馬に、おりょうが危機を伝え、龍馬はギリギリのところで逃げるというエピソードは多くの創作物の中でも描かれ有名ですね。
特におりょうは入浴中であり、全裸で坂本龍馬に危機を知らせたというエピソードも伝わっています。
おりょうの気の強さと、龍馬に対する思いが伝わる話ですね。
そして、ふたりは寺田屋事件のあと、薩摩で静養のための旅行をしています。
日本で初めて新婚旅行をした人物は、坂本龍馬とおりょうであると言われるゆえんですね。
龍馬は非常に気の強く、当時の女性とすれば変わったタイプであるおりょうを「まことにおもしろき女」と気にいいていたようです。
自分の危険をかえりみず命を助けられるほどに惚れられ、凄まじい気の強さの女性。
お互い「変わり者」であったふたりは波長のあった夫婦だったのかもしれません。
千葉佐那の持っていた物
千葉佐那は坂本龍馬に、婚約の証明として着物の袖を渡したといわれています。
しかし、一方ではふたりが恋仲であったという史料が残っていないのです。
文のやりとりも見つかっていません。あるのは千葉佐那の証言だけなのです。
また坂本龍馬が千葉佐那に惚れていたという証拠とされる実家への手紙についても文武両道の才媛だと実家に紹介しているだけです。
これをもって、婚姻の約束とする説もありますが、単に事実を書いただけの手紙ではないかという説もあります。
そして色々な創作でも有名な千葉佐那の持っていた坂本竜馬の形見である「着物の片袖」ですが、これも本物であるかどうか諸説あります。
千葉佐奈の父親が龍馬のために作らせた着物を佐那は、持っていただけという説もあります。
千葉佐那の持っていた龍馬の形見は本当に龍馬から渡された物であるのかは分かっていないのです。
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人たらしの坂本龍馬は、女たらし?
とにかく、坂本龍馬は少なくとも二人の女性から本気で惚れられていたことは間違いないでしょう。
本妻であるといわれるおりょうは、千葉佐那に対し相当な悪口を残しています。
龍馬が千佐那に浮気をしていたのではという嫉妬心からそのような言葉が出たのかもしれません。
これは史料としても確認されています。
そして、明治以降もずっと坂本龍馬の妻であると言い続けた千葉佐那も龍馬にぞっこんだったのでしょう。
佐那は抜群の美貌の持ち主であったことが史料に残っており、おまけに剣の達人です。
才色兼備の女性が独身を通す生涯を送ったのですから、龍馬への思いは本物だったのかもしれません。
坂本龍馬は「人たらし」と言われるほど人の懐に入るのが上手かったそうですが、女性に対しても相当な「たらし」だったのかもしれません。
維新の英雄はふたりの女性も虜にしていたのでしょう。
まとめ
坂本龍馬の業績なども史料の発掘により見直されている部分もあります。
ただ、これからも多くの日本人に愛される歴史上の人物でいるでしょう。
そして、生きているときは交渉相手をたらしこみ、気の強い男勝りのふたりの女性、おりょうと千葉佐那をぞっこんにさせる魅力的な男であったことは間違いないようです。
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