この記事では「賽(さい)は投げられた」という言葉の意味についてわかりやすく解説します。
この言葉は、古代ローマ時代のカエサルが言った言葉が語源とされている、深い歴史ある言葉なんですよ。
言葉の由来や使い方の具体例、類義語についても紹介しますので、参考にしてみてくださいね。
「賽は投げられた」の意味

カエサル(シーザー)の像
「賽は投げられた」とは、もう後戻りはできないから、多少は無理をしてでも物事をやりとげなければならないという意味です。
賽(さい)とはばくちに使うサイコロのことですね。
サイコロは投げられたあとなので、もう戻ることはできず、断行するしかないという意味になります。
「賽は投げられた」の由来(語源)
「賽は投げられた」は、古代ローマの物語が由来になっています。
物語のあらすじを、簡単にご紹介しましょう。
「賽は投げられた」の由来となった物語
紀元前のローマで、辺境地のガリアに総督としておもむいたカエサル(シーザー)は、そこを平定したのちにローマへと凱旋帰国しようとします。
当時、ローマに入るためには軍隊は解散して、1人で返ってこなくてはいけないという決まりがあり、これを破ると犯罪者となってしまいます。
しかし、もし軍隊を解散してしまうと、ローマで待つ政敵(ポンペイウスなど)に殺されてしまうかも知れません。
カエサルは意を決して軍隊を引き連れ、ルビコン川というローマと他国を分ける国境を越えます。
武装したままローマに入るということは、謀反を起こすことにほかなりませんから、母国ローマと一戦を交えることを覚悟したということですね。
国境を越えた後、カエサルは不安がる部下たちに「賽は投げられた」と声をかけ、今さら後戻りはできないことを伝えたといわれています。
「ルビコン川を渡る」との関係
カエサルはルビコン川を渡る時に「賽は投げられた」と言いましたが、この「ルビコン川を渡る」もよく使われるフレーズです。
「賽は投げられた」も「ルビコン川を渡る」も、どちらも同じ意味の言葉です。
武装してルビコン川を渡ることはカエサルの一大決意を象徴する行為で、それが後世まで語り継がれているのです。
>>「ルビコン川を渡る」の意味や例文についてはこちらの記事で解説しています
言葉の使い方はほぼ同じ
上でも見たように、「賽は投げられた」も「ルビコン川を渡る」も、ほぼ同じ意味で使われます。
どちらも後戻りができない時や、ここ一番の勝負に出る!という時に用いられる言葉ですね。
下で紹介する例文で「賽は投げられた」の部分を「ルビコン川を渡る」に変えても、違和感なく読める場合が多いでしょう。
「賽は投げられた」の使い方と例文
「賽は投げられた」は実際にはどのように使われているのでしょうか?
例文で見ていきましょう。
「賽は投げられた」の例文
- 試験日まであと10日。もう賽は投げられた
- 面接ではやるだけのことはやったので、賽は投げられた。あとは結果を待つのみだ
- 点数がリードされてもう賽は投げられた。残りの時間で全力を出すしかない
- 転職を決めた時点で賽は投げられたのだから、後悔している暇なはい
- 相手が戦いを挑んできた以上、賽は投げられた。応戦するのみだ
次の項目で紹介する類義語でも同じ意味の文章にはなりますが、「賽は投げられた」を使うことで、より緊迫感を持たせることができますよね。
「賽は投げられた」の類義語
「賽は投げられた」を他の言葉で表すと、どうなるでしょう?
類義語を集めてみました。
「賽は投げられた」の類義語
- 一か八か(いちかばちか)
- 伸るか反るか(のるかそるか)
- 勝負に出る
- 勇気を奮って
- 捨て身でかかる
- 退路を断つ
- 命運をかける
類義語を見ると、「賽は投げられた」の意味もよりよく理解できますね。
まとめ
今回は、「賽は投げられた」という言葉の意味について説明しました。
人生で「賽は投げられた!」というような場面にはそうそう出会うものではありませんが、いざという時にこんなフレーズが出ると、話にも厚みが出ますよね。