大政奉還とは、ごく簡単にわかりやすく説明すると、「これまで江戸幕府が持っていた政治権力を、すべて天皇にお返しします」ということです。
要するに、江戸幕府が明治天皇に降参したということで、1867年に起きた出来事です。
以下、大政奉還の意味についてくわしく説明しますので、興味がある方は読んでみてくださいね。
大政奉還=江戸幕府から天皇に政治を返すこと
もともと、日本という国はものすごく昔は天皇が政治を行ってきましたが(最初に「天皇」を名乗ったのは西暦673年の天武天皇から)、1192年に源頼朝が鎌倉幕府を作ってからはずっと武士が政治権力をにぎってきました。
なんだかんだあって鎌倉幕府(1192年)・室町幕府(1336年)・江戸幕府(1603年)と続いていくのですが、この間はずっと天皇に代わって武士が政治を動かし続けてきたのです。
※この間、天皇の血筋はずっと続いてはいますが、政治権力はない状態です。
それが、幕末の時代に海外からの侵略という新しい脅威がせまったこともあり、「もともと日本は天皇が政治をやってきたのだから、武士から天皇に政治をいったん返しましょう」ということで政権交代が起きます。
これが大政奉還(「大政=政治」を「奉還=返す」)で、実際には江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜が、当時の天皇である明治天皇に伝え、明治天皇がOKを出すという形で実現します。
大政奉還と同時に江戸幕府は終了し、新しく明治政府がスタートすることになりました。
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大政奉還と廃藩置県・版籍奉還はどう違う?
上でも見たように、大政奉還とは、江戸幕府から明治政府に「政治権力を全部お返ししますよ」という手続きのことです。
一方で、版籍奉還や廃藩置県は、徳川幕府から政治をバトンタッチされた後の明治政府が作った新しいルールです。
当時、徳川幕府の時代とはいっても、実際に徳川家が直接支配しているのは江戸や大阪などの重要地点だけで、それ以外は各地の殿様が自分の土地を支配するという形をとっていました。
明治政府はこの体制をガラッと変えて、東京(江戸から改称)にある政府が、直接全国の土地を支配するような形に変更することにします。
そのための具体的な手続きとして行ったのが、版籍奉還と廃藩置県というわけです。
大政奉還と比較すると、大政奉還が徳川幕府に対して「政治権力を返せ」と命令したのに対して、版籍奉還や廃藩置県は、日本各地の殿様に対して「政治権力を返せ」と命令したという点で違いがあります。
大政奉還と廃藩置県・版籍奉還の違い
- 大政奉還:徳川幕府に政治権力を返せと命令したもの
- 廃藩置県・版籍奉還:日本各地の殿様に政治権力を返せと命令したもの
なお、廃藩置県は、版籍奉還のパワーアップバージョンという感じでイメージしてもらえば間違いありません。
この2つ(版籍奉還と廃藩置県)の違いについても少しだけ見ておきましょう。
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①版籍奉還とは簡単にわかりやすくいうと何?
版籍奉還とは、ごく簡単にいうと「これまではそれぞれの土地の殿様が支配していた人民と領地を、天皇に返しなさい」という命令のことをいいます。
版籍奉還は廃藩置県とは違って、あくまでも「名目上」のことです。
今の時代でも、例えば土地の所有権が誰のものか?ということが問題となった時に、「役所の情報ではAさんのものということになっているけれど、実際にはBさんが家を建てて住んでいるので、実質はBさんのもののようになっている」ということがありますよね。
版籍奉還は、まずは名目上の所有者(上の例ではAさん)を諸国の殿様から天皇に変更しようという手続きだったわけです。
なお、版籍奉還の「版」とは「版図(簡単にいうと領地の意味)」、「籍」は「戸籍(人民を支配するための情報)」のことです。
文字通り、版籍奉還=「領地と戸籍を天皇に返しなさい」という命令というわけですね。
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②廃藩置県とは簡単にわかりやすくいうと何?
一方で、廃藩置県は、名目だけではなく、実質上も領地と人民を天皇に返還させる手続きをいいます。
上で見た例でいえば、「土地の上に建物を建てているBさんを立ち退かせて、実際上もAさんが土地を支配している状態」を実現するための手続きといえるでしょう。
具体的には、廃藩置県によって、これまでの行政区分だった「藩」がなくなって、新しく「県」が置かれることになります。
これはどういうことかというと、これまではそれぞれの領地で王様のように支配していた領主にかわって、東京(江戸から名称変更)の明治政府から役人が派遣されてそれぞれの土地を支配するようになるという形になるということです。
当然、各地の殿様たちとしては自分の権力が根こそぎなくなってしまうわけですから、反対することが予想されました。
しかし、廃藩置県では「それぞれの殿様が負っている借金についても明治新政府が肩代わりしてあげるよ」というおまけがついていたので、すべての殿様が「それならOK」ということで権力を明治政府に返すことにしたのです。
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大政奉還のアイデアを考えたのは坂本龍馬
ここからは大政奉還の話に戻って、もう少し掘り下げて解説しましょう。
大政奉還は、最終的には江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜による明治天皇にバトンタッチという形で実現しますが、もともとのアイデアを考えたのは坂本龍馬でした。
本来であれば、「誰が政治の最高権力者になるか」を決める戦いなわけですから、血みどろの戦いによって決着がついてもおかしくないはずです(実際、大政奉還後に結局は日本人同士の戦いになってしまいます。それが戊辰戦争という戦争です)
しかし、当時はアメリカやイギリス、フランスといった西欧列強諸国が日本を侵略しようとたくらんでいました。
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坂本龍馬は「外国が侵略してきているのに、日本人同士が戦っている場合ではない」と考えた
坂本龍馬は「外国に対抗しないといけないのに、日本人同士が殺しあっている場合ではない」と考えます。
そこで、江戸幕府の代表者である将軍から、「降参するので戦争はやめましょう」という形で大政奉還を行わせるように説得したのです(実際の交渉は坂本龍馬の直属の殿様である山内容堂とその側近が担当しました)
政治をゆずられる側の天皇(明治政府)としても、相手が降参するといっているのにあくまでも戦いで決着する!とはいいにくいですよね。
大政奉還が実現するまではいろいろと意見の違いがありましたが、最終的には徳川慶喜の判断によって実現することになりました。
これによって、日本人は一致団結して西欧列強に負けない国づくりを進めていけるようになったのです。
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徳川慶喜が大政奉還に応じた理由
上でも見たように、大政奉還は江戸幕府の最高権力者だった徳川慶喜が、自主的に明治天皇にバトンタッチすることによって実現したものです。
徳川慶喜としては、江戸幕府が続いたほうが自分の権力を維持しやすいですから、あえて明治天皇に権力を返してしまったのは不思議な感じがしますよね。
しかし、これにはちゃんと徳川慶喜のたくらみがあったのです。
徳川慶喜は「どうせ自分に権力が戻ってくるはず」と考えていた
明治新政府とはいっても、鎌倉時代以降ずーっと(700年以上!)政治とは離れていた人たちですから、「どうせすぐにうまくいかなくなるに決まっている」と徳川慶喜は考えていました。
そうなると実質的には政治のプロとしてずっと頑張ってきていた江戸幕府のメンバーに政治を返さざるを得なくなるでしょうから、そのタイミングで自分が再登場すればいいや、考えていたわけです。
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明治新政府による「王政復古の大号令」によって徳川慶喜のおもわくは外れる
しかし、こうした徳川慶喜のもくろみは明治新政府の中枢メンバー(西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允や岩倉具視といった人物たち)も読んでいました。
大政奉還が行われた直後、明治新政府は「王政復古の大号令」を出して、「今後は政治は永久に天皇が直接行うので、幕府のようなものは絶対に認めない」という宣言をしてしまうのです。
さらに、徳川慶喜に対しては「お前が持っている官位や、自分の領地はすべて明治新政府に返還せよ」というものすごく無茶な命令を出し、これをむりやり飲ませます(これを「辞官納地」と呼びます)
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大政奉還のねらいがはずれ、戌辰戦争が勃発

(戊辰戦争で明治新政府軍を率いたのが西郷隆盛)
このように、徳川慶喜が考えていた「大政奉還を行った後に、政治がうまくいかなくなるまで待って、自分がまた再登場する」というプランはくずれてしまいます。
上で見た辞官納地(官位や領地を返還しろという命令)に反発した徳川慶喜は、京都の鳥羽や伏見という場所で挙兵します(これが戊辰戦争の始まりです)
坂本龍馬が恐れていた、「日本人同士の戦い」がとうとう勃発してしまったわけです。
戊辰戦争=日本人同士の戦い
戊辰戦争は明治新政府と旧江戸幕府軍の戦いですが、旧江戸幕府の軍はどんどん敗退していきます。
京都の鳥羽・伏見で始まった戦いは、上野での戦い・江戸城の無血開城・東北地方での戦いなどを経て、最終的に北海道の函館五稜郭の戦いまで続きます。
五稜郭の戦い(新撰組の土方歳三などが中心になって参加した戦いです)に敗北したことで、ついに旧幕府軍は降参し、日本人同士の戦いはようやく終結することになりました。
戊辰戦争が終わったことで、ようやく明治新政府は日本国内の統治に乗り出すことが可能になったわけですね。
ここで明治新政府が打ち出した政策が版籍奉還や廃藩置県であることは先に見た通りです。
これらの政策によって日本は天皇を中心とした1つの権力となっていき、外国と戦う体制をどんどん整えていくことになるのです。
まとめ
大政奉還は、結果として徳川慶喜や坂本龍馬のねらいとは違い、戊辰戦争を引き起こしてしまいました。
しかし、大政奉還によって700年続いていた武家政治が終了し、明治新政府がスタートする大きなきっかけとなったことも確かです。
幕末の大政奉還から明治政府の樹立までのストーリーには多くの人物が登場し、とてもおもしろい話がたくさん残っています。
この時代を描いた小説作品やドラマ(2018年大河ドラマの「西郷どん」もまさにそうですね)がありますから、興味のある人はぜひ深く勉強してみてくださいね。
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