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廃藩置県は明治政府による最大の改革といわれています。

廃藩置県によって明治新政府は日本全国を完全に支配できるようになり、土地と税を確保したことによって徴兵制などの施策を次々と進めることができるようになったためです。

なお、廃藩置県と合わせて、混乱しやすい版籍奉還についても違いをしっかりおさえておきましょう。

廃藩置県をめぐっては、大河ドラマ「西郷どん」の主役、西郷隆盛も重要人物として登場しますよ!


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廃藩置県の目的は中央集権国家になること

(上野の西郷隆盛銅像)

廃藩置県以前の日本は、全国に藩を置き、それぞれ自由な統治を認めるいわば「地方分権」の社会でした。

外敵の存在しなかった江戸時代にはそれでも問題なかったのですが、開国後、それまで鎖国を続けてきた日本は外国の侵略を受けて植民地になってしまう恐れがありました。

外国の力の強い国々に太刀打ちするには、中央集権国家として日本が一つにまとまる必要があったのです。

これが、明治政府が中央集権国家を目指したことの背景です。

版籍奉還と廃藩置県の違いは

版籍奉還とは、明治政府が各藩を名目上支配するために行われました。

具体的には、各藩の藩主が支配権を持つ領土や領民の戸籍を、天皇に変換させる政策のことです。

この政策を実質的に進めたリーダーは明治新政府の大久保利通と木戸孝允。

まずは薩摩・長州・土佐・肥前の藩主が手本となり、戊辰戦争後、運営資金に困っていた他の藩主も続いて版籍奉還に従いました。

これに西郷隆盛が参入し、全ての藩を廃止して新たに府や県に変更するという政策が廃藩置県です。

なぜ版籍奉還だけではだめだったの?

それでは、なぜ版籍奉還だけではだめだったのでしょうか?

上で「名目上」という説明の仕方をさせていただきましたが、版籍奉還だけでは「実質」は依然と何も変わっていなかったからです。

版籍奉還が実施された後も、藩主は「知藩事」と名前が変わりましたが、藩は以前と同じ形で存続していたのです。

このため藩の運営は、以前と変わらず元藩主である大名が独自で行っていました。

これだと実質的には江戸時代のままなのでしたが、廃藩置県が行われたことによって、明治政府は日本全国の土地と人民を直接支配できるようになります。

土地を直接支配すれば税金が、人民を直接支配すれば徴兵制を行うことができます。

廃藩置県によって、明治政府を中心とした政治が実質的にスタートするようになりました。


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廃藩置県は実際どのように行われた?

廃藩置県の導入にあたり、各藩の大名の反発が予想されました。

大名からすれば自分の領地を取り上げられるわけですから、これは当然の予想ですよね。

新政府軍は大名の反発に武力で応じることができるよう、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允が中心となって、薩摩・長州・土佐の3つの藩の兵からなる御親兵を作ります。

1871年、明治政府は知藩事(旧藩主)を皇居に集めて、藩を廃止して、府や県に置き換えることを発表します。

これが廃藩置県の発令です。

当初反発も予想されましたが、明治新政府は藩の借金を肩代わりすることを明言したため、実際には喜んで従う藩主が多かったようです(ちょっと情けない感じがしますね…)

知藩事たちは東京に移住を命じられたので、新たに明治政府が都合よく選んだ人員が「府知事」や「県令」として各地方に置かれました。

廃藩置県の結果どうなった?

土地と人民の戸籍の支配権が地方から明治政府へ移ることで、明治政府は税金の徴収を容易にすることができるようになりました。

その結果、教育に力が注がれ、強力な軍隊も誕生しました。

こうして一つにまとまった日本は、他国を侵略して海外にも認められるようになり、第二次世界大戦へと続く、帝国主義の時代に巻き込まれていきます。

なお、知藩事(もとの藩主)たちは、事実上職を失うわけですが、反発が出ないように「華族」という身分階級が与えられました。

※廃藩置県とは?こちらも参考にどうぞ

まとめ

このようにまとめてみると、明治政府最大の改革ともいわれる廃藩置県は、現代にも大きな影響を及ぼしていることが分かります。

廃藩置県によって今の私たちが住む都道府県の基礎ができあがったという歴史的な事実も見逃せません。

廃藩置県は歴史がつながっていくことが実感できる、とても興味深い出来事といえますね。


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