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私たち日本人にとって身近な「都道府県」が誕生するきっかけとなった廃藩置県。

同じような意味で版籍奉還という政策もあったりで、なんとなくモヤモヤ…としている方も多いかもしれませんね。

版籍奉還と廃藩置県では実は大きく意味が異なりますし、日本の歴史に与えたインパクトもまったく異なります。

ここでは廃藩置県とはどういうものだったのか?について具体的に解説させていただきます。


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廃藩置県とはそもそも何?

1871年、それまで265年間にわたり日本を統治していた藩を完全に廃止し、新たに府と県が置かれた行政改革の事を廃藩置県といいます。

版籍奉還から始まり廃藩置県で藩を廃止できるようになるまでの経緯では、明治政府も大いに苦労しています。

版籍奉還とは何か?藩を廃止するまでの経緯は?これらのできごとをわかりやすくまとめると以下のようになります。

明治政府は何故藩を廃止したの?

江戸幕府は各藩に政治や税の徴収を任せていた、いわば地方分権の統治をしていました。

しかし、明治政府は軍の権限や租税を全て自分達の管理下におき統治できる中央集権国家を作ろうとしていたんです。

その背景としては当時の欧米列強(イギリスやフランス、アメリカやロシアなど)の日本への接近があります。

中央集権国家を作り、強い軍事力を持たないとこれらの諸国に植民地化されてしまうという危機感があったというわけですね。

中央に権力を集中できれば政治も行いやすくなります(税金もすべて握れますし、徴兵制なども実施できます)

そのための1つの方策として、中央集権国家を建設するのに邪魔な存在となっていた藩の廃止を行なったというわけです。


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廃藩置県と版籍奉還ってどう違う?

明治新政府が誕生した直後は、依然として各藩には藩主がおり、それぞれの領地をそのまま統治していました。

明治政府はこの状況を切り崩すべく、1869年各藩の領地(版図)と、領民(戸籍)を天皇に奉還させました(これが版籍奉還です)

版籍奉還で名目上は土地と戸籍を管理できるようになったものの、かっての藩主が藩知事と呼び方が変わっただけで、相変わらず藩知事が政治を行っていました。

さらに実質的に藩の支配権を明治新政府がにぎるために、廃藩置県を断行します。

具体的には藩の土地をすべて明治新政府の者とすることでそこから上がる税収を手にし、領民の支配権も握ることで徴兵制につなげたいという意図がありました。

両政策の違いをまとめますと、版籍奉還は名目上の措置ですが、廃藩置県は完全な藩の消滅を行なうことに成功した政策ということができます。

3府302県から47道府県へ

廃藩置県により県が誕生しましたが、1871年は3つの府と、302県もありました。

この後少しずつ府と県の吸収合併が行われ、1889年には47道府県になります(まだ東京都はなく、東京府といいました)

現在の47都道府県になったのは太平洋戦争が終わった後の1947年ということになります。

※廃藩置県の目的についてのもうちょっと難しい説明はこちら

まとめ

以上、廃藩置県の意味について、版籍奉還との違いに着目しながら解説させていただきました。

現在私たちが住んでいる都道府県ができ上るまでにはいろんな紆余曲折(うよきょくせつ)があったことがお分かりいただけたかと思います。

廃藩置県は、当時の欧米列強に植民地化されることを防ぐため、強い国家づくりのためにはなくてはならなかった政策ということができます。


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