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歴史人物のお話

大器晩成型の人の特徴とは?【偉人や有名人・女性の例】何歳から活躍?

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大器晩成型」とは、ごく簡単にいえば「年齢を重ねてから成功するタイプの人」のことをいいます。

同じような意味の言葉(類義語)としては、「遅咲きの人」とか、「苦労人」とかいった言葉がありますね。

「大器晩成型」の意味とは?

年齢を重ねてから成功するタイプの人。遅咲きの人。苦労人。

この記事では、歴史上、大器晩成型と言われる人たちが、

具体的にどんな人生を歩んでいったのか、何歳のときに成功したのかといったことについて紹介しています。

偉人や有名人の人生を知ると、あなた自身の悩みを解決するきっかけをつかめるかもしれません。

自分の将来について悩んでいる…という方や、

いま何をやったらいいのかわからないという方は、ぜひ参考にしてみてくださいね。

大器晩成型の人の特徴!偉人や有名人も若いころはダメダメだった?

歴史上の偉人で誰もが知っている大器晩成型の人と言えば、徳川家康でしょう。

彼は、自分の子供や孫が政権を完全に掌握する江戸幕府を作り、260年にもわたって日本全体を一族で支配することに成功しました。

>>徳川家康が座右の銘とした「貞観政要」の名言解説はこちら

歴史上の人物としてはトップクラスの功績を遺した人ですから、経営者や政治家の中には彼を目標にしているという人も少なくないでしょう。

しかし、彼の人生を細かく見ると、実は「大器晩成型=遅咲きの人」であることが分かります。

家康が関ヶ原の戦いで勝利を収め、江戸時代を築いていくのは、なんと60歳を過ぎてからのことなのです。

徳川家康は、10代には今川義元、20代~30代にかけては武田信玄、40代は織田信長、50代は豊臣秀吉…と、他のスーパースター的な偉人に対して隷属的な地位を強いられていました。

最後のライバルである豊臣秀吉が亡くなり、絶好のチャンスが訪れたときには家康は60歳を超えていました。

彼はこのタイミングまでずっと忍耐を続け、最後のチャンスで一気に成功を手にしたのです。

日清食品の創業者である安藤百福:チキンラーメンを開発したのは48歳のころ

もう少し現代に近い例を挙げると、日清食品の創業者である安藤百福も大器晩成型の有名人だと言えます。

この人が世界初のインスタントラーメン、チキンラーメンを開発したのが48歳の頃です。

>>他にもこんなにいる!大器晩成型の偉人の例はこちらをクリック

大器晩成型の人たちも成功を収めるまでは苦難の連続だった

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彼らが普通の人たちと違ったところは、どうしようもない状況に置かれても諦めずに努力を継続することができたということです。

徳川家康は幼少期を人質として過ごし、解放されてからも織田家の下で使われているしかないという境遇でした。

安藤百福はインスタントラーメンを開発するまでにも何度も事業を起こそうとしていますが、戦争などの影響もありいずれも失敗。

47歳の頃には、ほぼ全財産を失うという絶望的な状況を経験しています。

家康は織田家の下でうだつのあがらない日々を過ごそうとも、自分の番が回ってくるのをじっと耐えて待ち続けました。

安藤百福もどうしようもない状況に絶望するのではなく、そこから睡眠時間を削って休みなくインスタントラーメンの開発に明け暮れたのです。

成功し始める年齢は人それぞれ

互いに60歳、48歳と誰が聞いてもこの二人の成功は遅咲きですよね。

しかしこの例を目の当たりにして、大器晩成型の人が何歳から成功するのかと考えると、人によってかなり開きがあることがわかります。

また経営者なら30歳を超えて成功しても遅咲きだとは言われませんが、それが芸能人なら遅咲きだと言われたりと、業界によってその基準は変わってきますね。

大器晩成型といっても具体的に何歳からということはなく、最後まで諦めなかった人が大器晩成型なのです。

大器晩成型の偉人の例

この他にも大器晩成型の偉人のエピソードをいくつか紹介しておきます。

それぞれ見比べることでも、大器晩成型を形作る要素が明らかになってくるでしょう。

カーネル・サンダース:ケンタッキーが成功したのは70歳のころ

ケンタッキー・フライドチキンの創業者として知られるカーネル・サンダース。

この人がKFCのフランチャイズ事業に取り組み始めた頃にはなんと70歳を目前にしていたといいます。

30代後半でガソリンスタンドとカフェを経営し始めたカーネル。

カフェ事業に至っては州の料理への貢献が認められ、45歳の頃にケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を授かるほどでした。

しかしガソリンスタンドはバイパスが出来たことによる交通量の減少、大恐慌の煽りを受けて倒産。

カフェも火事によって焼失してしまい、65歳にして築いてきたものを全て失うことになってしまったのです。

しかしカーネルはこの状況に置いても諦めませんでした。

70歳を目前にして取り組み始めたフランチャイズ事業の営業を断られた回数は1000回以上。

彼が他の偉人たち同様、希望の見えない状況でも努力し続けることができたというのはその数字から明らかですね。

ウォルト・ディズニー:ミッキーマウスを生み出したのは30歳のころ

ディズニーランドや、ミッキーマウスの生みの親として今や世界中から愛されるウォルト・ディズニー。

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彼が最初から才能を持っていたかというと、そうではありません。

時期としては20歳前後、新聞に載せる漫画を描く仕事をしていたウォルトは後にアニメーターに転身します。

自ら起業するも経営面やもろもろのことが上手くいかず、倒産などの危機を何度も繰り返しました。

ウォルトは制作に没頭する余り、経営者としては少々不安を抱える部分があったのです。

そんな彼がミッキーマウスを生み出したのは30歳の頃。

そこからその人気と知名度は世界中に広がっていきます。

何度も苦境に立たされた彼が諦めなかったのは、アニメーションへの情熱があったから。

大器晩成型の人が、希望の見えない状況で努力し続けられることのヒントもこの情熱に込められていますね。

J・K・ローリング:ハリーポッターを生み出したのは31歳のころ

ハリーポッターシリーズの著者として知られるJ・K・ローリング。

彼女が31歳の頃「ハリーポッターと賢者の石」が出版され、これが世界的なヒット作になりました。

彼女は遅咲きの作家でしたが、それだけではなくその人生も波瀾万丈。

25歳で母親が病気で他界。

27歳の頃に一度は結婚するものの、すぐに夫から家を追い出され娘と二人で生きていくことになります。

このときの生活は本人が「自殺まで考えた」というほど苦しいもの。

彼女は生活保護を受けながら借金までしていました。

そんな状況に置かれながらも小説を書き続けたのは、ウォルト・ディズニーでいうアニメーションと同じく、彼女が小説に対して情熱を持っていたからに他なりません。

大器晩成型の有名人や芸能人の例

ここまで歴史上の人物や、海外で大成功した偉人を例に挙げてきましたが、もう少し身近な有名人の例も見ていきましょう。

より身近な世界で生きる彼らのエピソードは、自分事としても当てはめやすいはずです。

タモリ:芸能界デビューは30歳

タモリが芸能界デビューを果たしたのは30歳の頃。

それまでは地元福岡にて一般職を転々としていました。

一般職についていた時代にしても、喫茶店のマスターをやっているときは風変りなマスターとして話題になっていたり。

芸能に通じる才能も見せていたんですよ。

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そしてひょんなきっかけからジャズピアニストの山下洋輔と知り合うことになったのがタモリの転機。

お酒を飲んでバカ騒ぎしていた山下らの中に、乱入していったタモリは「面白い」と認められ、後に上京の費用をカンパされる形で素人芸人として東京へ招かれます。

そこから月に一度福岡から上京して芸を披露する生活を送るのですが、これが漫画家の赤塚不二夫の目に留まり、後に芸能界デビューへと道が開けていくのです。

この話を聞いてわかるのは、タモリは最初から芸能界を志していたわけではないということ。

人生何が起こるかわからないということも、諦めずに努力を続ける上での励みになる話ですね。

福山雅治:歌手業は30代から

19歳で俳優デビューを果たした福山雅治。

これを聞くと「え?大器晩成型じゃないよね」と思ってしまいます。

しかし大器晩成型と呼ばれるのにも理由があって、彼は俳優ではなく歌手を目指していたのです。

結果として福山が歌手デビューを飾ったのは31歳の頃。

それまでの彼の歩んで来た道は華々しいものであっても、飽くまでも歌手になるという夢を叶えるための行動だったのです。

成功の定義は周りが決めるのではなく、その人の価値観次第ということですね。

吉田羊:40歳で「HERO」に出演するまでは借金生活…

最後に紹介するのは、テレビドラマ「HERO」で一躍人気を博した女優の吉田羊です。

彼女は23歳の頃から小劇場の舞台女優として、アルバイトで生計を立てながらの活動をしていました。

10年に渡る活動の後、現在の所属事務所からのスカウトを受けて芸能界デビュー。

しかし事務所に所属するとアルバイトとの掛け持ちは禁止され、「全て女優業で稼いで返す」という条件で事務所から借金をしながらの活動をしていました。

なんと2014年に「HERO」に出演する直前まで、彼女は借金を抱えていたんです。

この頃吉田は40歳。

「必ず女優として成功してみせる」という意志の強さがない限り、これはなかなかできることではありませんね。

まとめ

今回は大器晩成型という言葉がどんな人を表しているのかについて、偉人や有名人を例に挙げながら迫ってまいりました。

彼らに共通して言えることは、どうしようもない状況でも諦めずに努力し続けられるということ。

ただ遅咲きで成功しただけではなく、多くの人がなんらかの苦境を経験しているということもまた興味深いですね。

大器晩成型で成功できる人は、苦境をもはねのけられる情熱を持っているのです。

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