2018年より放送開始の大河ドラマ「西郷どん」でもその活躍が期待される薩摩藩士・大久保利通(キャストとして演じているのは俳優の瑛太さんです)
彼は明治維新後に「紀尾井坂の変(きおいさかのへん)」によって暗殺されてしまうことでも有名ですが、その暗殺にまつわるエピソードについて、気になっている方も多いと思います。
今回は、大久保利通の最期(暗殺)の状況について解説させていただきます。
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大久保利通暗殺事件の発生理由は?
大久保利通は、西郷隆盛が西南戦争の前後に下野(政府を辞職した)後、明治維新政府で実質的な最高権力者となります。
(当時はまだ憲法も内閣もありませんから、内務省というもっとも強力なお役所のトップとして君臨します)
権力のトップとなった大久保利通がなぜ暗殺されてしまったのか?その背景についてみていきましょう。
西郷隆盛との対立がきっかけ?
お互いに薩摩藩士である大久保利通と西郷隆盛は、共に明治維新を成し遂げた盟友同士でした。
しかし明治政府が発足した頃から、西郷隆盛と大久保利通は政治のやり方について対立することが多くなります。
もっとも対立が大きくなったのは「征韓論」をめぐる対立です。
西郷が当時鎖国状態を守っていた韓国への出兵を主張したのに対して、大久保は国内の経済成長を重視して否定的な立場をとります。
これがきっかけで西郷隆盛は西南戦争という形で明治政府への反乱を起こし、明治政府のトップだった大久保利通と戦うことになります。
カリスマ的な人気を持つ西郷隆盛との対立は、大久保利通に対して不満や反感を持つ人々を増やすことになります。
※この辺りの事情をリアルな小説で描いたのが超有名なこちら↓
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西郷の死により大久保の身に危機が…
1877年に、西郷により作られた陸軍育成施設「私学校」の生徒たちが明治政府に対し怒りを爆発させたことをきっかけに「西南戦争」が起こります。
西南戦争というのは日本人同士が戦う最後の内乱で、実質的には西郷隆盛(薩摩藩士軍)VS大久保利通(明治政府)の戦いということになります。
西南戦争の最中に西郷隆盛は自決してしまうのですが、その後大久保利通は西郷を死に追いやった者として西郷派の人間から恨みを買ってしまいました。
そしてその流れで、あの無残な暗殺事件「紀尾井坂の変」が起こってしまうのです。
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大久保利通の暗殺現場の場所や状況は?
大久保利通は毎朝馬車に乗って出勤していましたが、その出勤途中に暗殺されます(紀尾井坂の変)
何度も暗殺の恐れがあることを周囲から警告されていましたが、大久保は一顧だにすることなく悠然と毎日変わらず出勤します。
馬車に乗っていた大久保利通は、暗殺される寸前まで西郷からの手紙を読んでいたそうです。
二人は未来への理想こそ違いましたが、お互いに深い絆で結ばれていたのですね。
具体的な暗殺現場の状況としては以下の通り。
当日の出勤先である皇居へ向かっている途中、大久保は何者かに馬車から引きずり下ろされ、刀でめった刺しにされてしまいます。
その刀傷は16箇所にも及び、そのほとんどが頭部に集中していました(強い憎しみを感じさせる殺され方ですね)
この惨殺事件によって、大久保利通は49年という短い生涯を終えることになりました。
大久保の死によって、西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通という「維新の三傑」と呼ばれた「明治維新第一世代」というべき人たちがすべて死ぬことになります(木戸孝允は西南戦争の途中に病没)
この後は伊藤博文・山形有朋・松方正義・黒田清隆といった「明治維新第二世代」の人たちが政治を指導していくことになります。
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大久保利通暗殺の犯人は?
大久保利通に不平不満を抱いた元士族たちによる犯行であり、そのメンバーは以下6名であるといわれています。
大久保利通暗殺の犯人
- 島田一郎(主犯・石川県士族)
- 長連豪(石川県士族)
- 杉本乙菊(石川県士族)
- 脇田巧一(石川県士族)
- 杉村文一(石川県士族)
- 浅井寿篤(島根県士族)
主犯の島田一郎は征韓論で西郷隆盛が下野したのに共鳴して政治活動を行った人物であり、征韓論をつぶし西郷を殺した大久保利通に深い恨みをいだいていたとされます。
紀尾井坂の変後、これらの士族たちは明治政府に自首し、斬首されます。
その際、主犯である島田一郎以外は暗殺の標的や目的等については詳しくは知らなかったという供述を残しています。
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大久保利通の人物像
最期に簡単に大久保利通の人物像について。
大久保利通は1830年、薩摩藩鹿児島県の下級薩摩藩士の家の長男として生まれます。
当時政治の実権を握っていた島津家(島津久光)の信頼を得たことで、薩摩藩の重要な役職に就いていくようになりました。
武士ではあるもののどちらかといえば政治家としての能力が高く、薩英戦争などの戦の最中においても、作戦指揮や軍師的な立場に置かれることが多かったようです。
「版籍奉還」や「廃藩置県」などの政策を実行した人物としても有名で、西南戦争によって西郷が下野した後は実質的に明治新政府の首相として当時の政治を主導しました。
特に内政において明治期前半の殖産興業を推進したのは彼の功績であり、その際に日本国が身に着けた経済力はその後の日清戦争、日露戦争の勝利へとつながることになります。
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まとめ
今回は、大久保利通の暗殺エピソードについてのお話でした。
歴史の物語ではどうしても暗いイメージがつきまとう大久保ですが、彼が日本へ残した功績は非常に大きいといえます。
幕末期や明治維新直後の政治を理解する上では欠かすことのできない重要人物ですから、この時代に興味のある方はぜひ彼について調べてみてくださいね。
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