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福沢諭吉は「脱亜論」(日本は清国や朝鮮などのアジア圏から脱して、西洋化するべきだという意見)を主張したことでも知られています。

一方で福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という平等思想を説いていますから、脱亜論でアジアからの脱皮を目指す方向性を打ち出したことには「矛盾している」という批判もありますね。

実際、福沢諭吉は清国(現在の中国)や朝鮮半島の人々に対してどのような評価をしていたのでしょうか?


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福沢諭吉は韓国をどう評価していた?

福沢諭吉,韓国

福沢諭吉は韓国を日本とともに欧米諸国に対抗し、立ち上がってくれる友になってくれることを望んでいました。

福沢諭吉は清に対して強い警戒感を抱く一方で、韓国に関しては「共に歩む仲間となれる」と考えていていたのです。

実際、福沢諭吉は金玉均など韓国(朝鮮)出身者が日本に留学するための支援を行い、この人材が韓国近代化のために動いてくれることを支援しています。

福沢諭吉が韓国の活動家を応援した理由

アヘン戦争に敗れたとはいえ清はまだ巨大な国家であり、日本にとっては脅威となる国力を持つ国だったのです。

その清を宗主国に仰ぐのが韓国(朝鮮)を福沢諭吉は、東アジアの旧態依然とした国家秩序から抜け出し、清から独立して欲しいと願っていました。

だからこそ、福沢諭吉は韓国(朝鮮)の独立活動家を支援していたのです。


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変化を嫌う韓国に失望する福沢諭吉

しかし、そうした努力にもかかわらず、韓国は決して福沢諭吉の思い描くようには動きませんでした。

福沢諭吉が生きた時代の挑戦は、近代化や開国をせず、鎖国体制をとり続けます。

すでに世界の状況は変わっているにも関わらず、清国を中心とした中華序列(冊封体制)という考え方に韓国が眠り続けていることに、福沢諭吉は失望感を感じるようになっていきます。

その訣別の言葉こそが「脱亜論」だったのかもしれません。

この脱亜論の中で、韓国に対しては「関わらないほうが良い」という立場をとるようになります。

福沢諭吉と韓国(朝鮮)との関わり

福沢諭吉は西洋文明に触れる前は、当時の教養人の嗜みである漢学の教養も相当に積んだ人物でした。

韓国という国家は、江戸時代漢学においては、日本の師匠であり、朝鮮通信使は日本の漢学者とも交流していました。

福沢諭吉は韓国が自ら改革し、日本の明治維新と同じように近代化し、欧米諸国に立ち向かえるアジアの国家になることを望んでいたのです。

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壬午軍乱で明らかになった韓国(朝鮮)の日本人観

しかし、韓国(朝鮮)は日本に対する反発から壬午軍乱を起こします。

そして清国を引きこんで自ら中華序列中で、宗主国である清の影響力下にいることを望みます。

中華序列の中で日本の下に立つというのは、当時の韓国(朝鮮)人取っては屈辱だったのでしょう。

清国の下であればNo.2であり、それよりも日本は下の国であると、古代柵法体制のままの中華序列思考のまま、激動の19世紀後半を生きていくことを選択します。

やがて、福沢諭吉は事大主義のまま清国に依存し、改革や独立の意志を見せない韓国(朝鮮)という国家に対し失望するのです。

脱亜論とはどんな内容だったのか

脱亜論とは古代の中華序列の意識のままの清国と、韓国(朝鮮)と手を切り、日本は独自で近代化を進めないとダメだという主張でした。

清や韓国(朝鮮)はまともに欧米列強の脅威を意識せず、なんの改革も進めないのです。

特に、福沢諭吉の失望は韓国(朝鮮)に対し大きく、すでに怒りレベルだったかもしれません。

元々、福沢諭吉は清国を敵視していました。

明治維新で近代化を進めている日本とはいえ、清国は、国力的には日本の数倍の巨大な国家なのです。

隣国の中では一番の脅威ですが、はっきり言って対欧米には役に立たない張り子とのトラであることは明らかで、その清にいつまでも媚びへつらっている韓国に対するいら立ちがあったのでしょう。

韓国(朝鮮)の中にも現状の国家を憂い、改革を進めようとした人たちがいましたし、そのような人たちを福沢諭吉は援助しているのです。

福沢諭吉は、韓国が嫌いだから脱亜論を唱えたのではなく、改革を行わない韓国という国家に対する失望と、日本が独自に近代化するという決別を宣言したものだったのです。

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朝鮮の人民を心配していた福沢諭吉

福沢諭吉は、韓国の改革派を支援していましたが、彼らは祖国で弾圧され結局日本に亡命してきます。

福沢諭吉は韓国人を嫌いだったのでありません。

しかし、韓国人の政治問題に関する事大主義的(事なかれ主義)については嫌悪感を持っていたようです。

福沢諭吉は、まるで韓国(朝鮮)の事大主義を皮肉るかのように、「このままでは韓国は人民もろとも滅びるので、イギリスやロシアなど他の国に支配されてしまった方が、韓国(朝鮮)の人民は平和に豊かに暮らせるのではないか」とまで書いています。。

しかし、福沢諭吉が韓国の改革派を支援し、韓国の近代化を願っていたのは本心だったはずです。

脱亜論は当時どのように評価された?

脱亜論は新聞の無記名記事の社説で、当初はさほど注目されたものではなかったようです。

そして、注目されるようになったのは1950年代以降であり、その内容、時代へ背景について多くの意見が出てきました。

教科書の中では日本の近代化の中でアジア的な物を捨て、欧米列強の仲間入りをするための言論の一環として教えられています。

ただ、それは当時の半島や大陸の事情を無視したあまりにも片面的な見方であるともいえます。

そして、現在の支那(中国)や、韓国では当然のことながら、批判の対象となる文書となっています。

国内と、その語られた当事国である韓国(朝鮮)、支那(中国)の脱亜論の評価について考えてみましょう。

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日本における脱亜論の評価

脱亜論は福沢諭吉自身の失敗や失望、敗北感を語ったものではないかという説があります。

日本と共に、欧米勢力に立ち向かう勢力になってもらおうとした、福沢諭吉の構想の失敗、そのあきらめの気持ち(あるいは決別の気持ち)で書いたが「脱亜論」であったという説です。

これは非常に説得力があります。

韓国(朝鮮)は地形的に日本に突き立った刃物のようなものです。

敵対的な外国勢力(当時は特にロシアの南下が脅威でした)に抑えられた場合、周囲を海に囲まれた日本国は非常に防衛が困難な立場となります(当時はまだ日本の海軍力は貧弱でした)

当時の日本にとって重要な位置に合った韓国を近代化し、独立してもらうことは日本自身を守ることにも直結していたのです。

これは、当時の状況を考えると非常に分かりやすい話です。

また、最近では、19世紀後半の弱肉強食の世界の中、中華序列の古代国家意識のままの韓国、支那に別れを告げた文章であったとする話もあります。

いずれにせよ、歴史は福沢諭吉の唱えた脱亜論の通りとなります。

韓国(朝鮮)は日本によって独立させられ、事大する対象を日本に変更していきましたが、そのとき日本には、韓国を対等に欧米に立ち向かえるパートナーになると考える指導者はいませんでした。

韓国(朝鮮)、支那(中国)からの評価

韓国(朝鮮)支那(中国)での脱亜論は日本帝国主義的精神の起点であるとして、非常に評判が悪いです。

韓国とって、世界とは支那(中国)が中心であり、その周辺国である自分たちがNo.2であり、それよりも遠いとこにある日本は遅れた弟であるという考えが主流でした。

そのような、国家である日本に主導権を握られ、近代化するなどまっぴらごめんだったのかもしれません。

それは今の韓国を見ても、さほど変わりません。

彼らは、日本との協定を守る気もなく、慰安婦像の設置を続け、北朝鮮政権にすり寄ります。事大の相手を、北朝鮮にしたのでしょうか。

しかし、21世紀になってもダメな国だと言っても位置的に韓国が日本にとって重要なのは事実です。

脱亜は日本側の精神では可能ですが、物理的地理的にはにはできません。

ですので、本当に困った国なのです。


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その後の韓国(朝鮮)の歴史

福沢諭吉は、「韓国は滅びるかもしれない。それならば、イギリスやロシアに支配された方が人々は豊かで平和な生活ができるだろう」と書きましたが、その支配する役割は現実には日本に回ってきてしまいます(日韓併合)

日本にとってみれば、安全保障上、朝鮮半島に敵対勢力が進出するのを避けなければならなかったのです。

日韓併合というと植民地政策のように言われることが多いですが、これはまったくの誤解です。

植民地というのはイギリスとインドの関係が典型的ですが、一方が一方に対して強制的に商品製造や原材料供給を行わせ、経済的に搾取するような関係をいいます。

当時のイギリスは基本的にインドやインド国民の生活を向上させようという意識はまったくありませんでした。

これに対して、日本は韓国を「自国と同じような生活水準にまで向上させる」ための政策を数多く打ち出しています。

東京帝国大学や京都帝国大学とまったく同じ教育水準の大学をソウルにつくっていますし、識字率が極めて低かった韓国国民のために漢字の代わりにハングル文字を普及させるべく努力しています(ハングルはもともと朝鮮半島にあった独自の文字ですが、あまり使われていませんでした)

これらの費用は当然日本国が負担していますから、ばく大な費用がかかっています。

本来であれば、かつて福沢諭吉が望んだように韓国自身が独立してこれらの施策を実行してもらうほうが日本にとっても都合がよかったのです。

自国の隣に友好的で近代的な国家(韓国)が成立し、日本と共同歩調を選択してくれれば、欧米列強への対抗はより簡単になったでしょう。

ただし、日本がここまで朝鮮半島に「入れ込んだ」ことそのものが正しい方向性であったかは疑問です。

戦前の韓国(朝鮮)支配は当然、日本の国益のために行ったものです(日本の国益にならぬことを、日本の税金を使って行うなど国賊以外のなにものでもありません)

しかし、その税金の使い方、リソースの注ぎ込み方が正しかったかどうかは、いろいろ議論の余地はあったかもしれません。

本来であれば、明治時代に、改革派が主導権を握り、日本と同じ方法を向いてさえいてくれればよかったのです。

それができなかったゆえに、日本もまた、引きずり込まれるように破滅への道をすすんでいくのです。

まとめ

もし、韓国が明治維新と間をおかず、近代化に向かって舵をとっていれば、東アジアの歴史はかなり変わったものとなっていかかもしれません。

しかし、それができるほどに、韓国(朝鮮)に刻まれた事大主義と中華序列の呪縛は緩くはありませんでした。

韓国が、真っ当に欧米に対抗しようとした国家建設に進んでいたなら福沢諭吉も嘆きはしなかったでしょう。


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