Pocket

韓国大統領である朴槿恵(パククネ)が任期途中で退任してから早1年。

彼女は父親を殺され、家族はなく孤独だったために側近との癒着が進みすぎてしまったという報道も記憶に新しいですね。

しかし、彼女よりも過去の韓国大統領に目を向けると、暗殺や暗殺未遂、逮捕といった形で悲惨な末路をたどった人が非常に多いのです。


Sponsored Links

韓国の大統領で暗殺や暗殺未遂などがあった代の一覧

韓国大統領,暗殺

 

↓ 歴代大統領の末路については、こちらで一覧にしています。

 

任期中にクーデターで退任か、退任後に収賄や不正蓄財が指摘されて逮捕…というのがお決まりのパターンになってしまっているのがご理解いただけると思います。

以下では、歴代韓国大統領の暗殺事件でももっともショッキングな「朴正煕暗殺事件」と「青瓦台襲撃事件」についてくわしく見ていきましょう。

朴正煕暗殺事件の主犯は無二の友人であり、側近だった!

朴正煕(パクチョンヒ)大統領暗殺事件の主犯は金載圭という人物です。

金載圭は朴正煕の友人であり、大韓民国中央情報部という「側近中の側近」といわれた人でした。

しかし大韓民国中央情報部(KCIA)の部長だった金載圭は普段から仕事がぬるいとして大統領に叱責されていました。

朴正煕大統領からのこの叱責は執拗なものだったため、その怒りは少しずつ積み重なっていきます。

さらにライバルの車智澈の失敗を自分の責任にされたことも重なり、友人だった朴正煕大統領とライバルの車智澈へ憎しみをつのらせ暗殺を計画するようになります。


Sponsored Links

暗殺計画を実行にうつす

そこで、金載圭は暗殺計画を実行に移すため、中央情報部の使っている秘密の宴会場へこの二人を招きます。

この秘密裏に行われた宴会は非常に豪勢なものでした。

芸能人やモデルなどの有名人を含む、政府関係者以外の人物も招かれました。

しかしここでも朴正煕大統領は金載圭の仕事ぶりを無能だとして長時間の執拗な叱責を行います。

過ぎた叱責のため、その場の空気は緊張し凍り付きました。

しかしちょうど歌手や芸能人などがその場に現れたため緊張は一時的になくなったように見えました。

一度収まったように感じられた場の空気、そしてここからが金載圭の大統領暗殺計画の始まりでした。

金載圭は仕込んでおいた部下に照明のブレーカーを落とさせます。

全体を暗闇したところを1発ずつ確実に銃撃することで、朴正煕大統領とライバルの車智澈を暗殺することに成功します。

Sponsored Links

朴正煕大統領はなぜ側近に憎まれたのか

朴正煕大統領はもともとは軍人でした。

この気質が金載圭を追い詰め、暗殺をさせるまでにしたといっても過言ではないでしょう。

朴正煕大統領の政権を追っていくと、執拗なまでに民主化や国交正常化運動を起こす学生への弾圧を繰り返しています。

また朴正煕大統領は軍隊を後ろにつけ独裁政治を行ったことからも、かなり高圧的な人物であったことがうかがえます。

実際、金載圭に対し仕事がぬるいと叱責を続けた内容も、学生運動への弾圧が手ぬるい、という内容のものだったのです。

朴正煕大統領時代には韓国の経済は上向いたといわれています。

しかしその裏では非人道的な行為が多く行われており、その精神は側近にまで影響したのでしょう。

金載圭とライバル関係にあり、同じく暗殺された車智澈は、朴正煕大統領に対し、徹底的な従順と忠実さで仕えていたといわれています。

それは独裁者として君臨したい朴正煕大統領にとっては都合の良いものだったに違いありません。

Sponsored Links

金載圭とはどのような男だったのか?

金載圭も朴正煕大統領と同じ元軍人でした。

この人物は日本軍に従軍していたこともあり、その時の名を金本元一といいました。

人格的にはユーモアがありつつも、気性が激しく、激しく怒るような暴力性もあったようです。

そのユーモアのために、多くの人から愛される反面、自身を否定されるような言動をとられたときには目上の立場の人に対しても向かっていく激しさがあったようです。

子どものころはガキ大将的立場で、好き嫌いも極端でした。

金載圭は朴正煕大統領より9歳年下でした。

その上、故郷が同じということや、同じ軍人あがりということもあり、朴正煕大統領の側近として仕えたのです。

Sponsored Links

青瓦台襲撃未遂事件で狙われた朴正煕大統領

次に、青瓦台襲撃未遂事件についてみてきましょう。

青瓦台というのは韓国でいう「ホワイトハウス(大統領が住む建物」です。

青瓦台襲撃未遂事件によって狙われたのは朴正煕大統領とその閣僚達がターゲットでした。

事の発端は1966年に韓国の一般人が乗った漁船が北朝鮮の襲撃によって沈没させられたことから始まります。

この事件を機に、韓国と北朝鮮は一触即発の状態に陥りました。

この時期に起きたのがこの青瓦台襲撃未遂事件です。

青瓦台襲撃未遂事件とは?

1966年の韓国漁船の沈没をきっかけに、1967年には韓国と北朝鮮の間で大規模な戦闘が勃発します。

そこで北朝鮮のスパイたちは、1968年1月、韓国国内に侵入を成功させます。

この時、韓国国内に侵入した北朝鮮のスパイの人数は31人。

青瓦台へ向かう朴正煕大統領とその閣僚達のおよそ800メートル手前まで差し迫ります。

しかし直前で韓国当局に検問を受け、自動小銃を乱射してその場を逃げ出します。

その後、数週間の韓国当局の追跡により、北朝鮮のスパイ29人を射殺、1人を逮捕しました。

しかし、この追撃によって巻き込まれた韓国市民、そして警察官と軍人合わせて68名が死亡しています。

後に逮捕された1人が「朴正煕の首を取りに来た」とテレビではっきりと言います。

その結果、韓国全土に衝撃を与えた大事件となったのです。


Sponsored Links

青瓦台襲撃未遂事件により導入のマイナンバー制度

青瓦台襲撃未遂事件を受け、朴正煕大統領はテロリストやスパイの国内への侵入を許してしまったことに衝撃を覚えます。

そこで導入されたのが韓国国民全員に番号を割り振り管理する、マイナンバー制度でした。

マイナンバー制度は青瓦台襲撃未遂事件の後、すぐに制度化され、1968年には施行されました。

このことによって、韓国国民は全て番号で把握されるようになりました。

しかしそれは税だけではなく、年金、不動産情報、医療、金融、通信、選挙、兵役、教育に関するすべての情報がマイナンバーに記載されることになったのです。

朴正煕大統領は韓国の経済を大幅に成長させました。
しかし軍人であったための強硬な姿勢や、マイナンバー制度の導入、学生運動の弾圧などによって、現在でも独裁者だったといわれています。

まとめ

2016年、朴正煕大統領政権下で国務総理を務めた人物は、朴正煕大統領をこう評価しています。

「彼は弱く、そして疑い深いところのある人だった」

朴正煕大統領の人生を追うと、元軍人として誇り高く、そして強く生きようとしたその姿が見えてきます。

しかし、その過ってしまった頑張り方は、友人を追い詰め、暗殺させるまでに至ったのかもしれません。


Sponsored Links

Pocket

関連記事と広告